【訃報】ジャン=リュック・ゴダール監督、逝去。映画史そのものとなった偉大な足跡
ジャン=リュック・ゴダール監督が9月13日、91歳で亡くなったことがわかった。フランス紙「Libération」が報じているが、詳細についてはまだ明らかになっていない。
1930年12月3日にパリで生まれたゴダール監督は1949年にエリック・ロメールが主宰するシネクラブに参加し、批評家としての活動を経て短編映画『コンクリート作業』(54)を制作。1959年に初の長編映画となる『勝手にしやがれ』(59)を発表し、第10回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞。フランソワ・トリュフォーらと並びヌーヴェルヴァーグを牽引する監督として脚光を浴びる。
その後も『軽蔑』(63)や『気狂いピエロ』(65)などの傑作を発表し、『アルファヴィル』(65)で第15回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。1967年に商業映画からの決別を宣言し、1968年にはカンヌ国際映画祭を粉砕するとともに「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成。1979年に商業映画界に復帰し、『カルメンという名の女』(83)で第40回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。そして1988年から10年がかりで『ゴダールの映画史』(98)を制作した。
21世紀に入ってからも精力的に革新的な作品を生みだしつづけ、2010年にはアカデミー賞名誉賞を受賞。『さらば、愛の言葉よ』(14)で初の3D映画を手掛け、第71回カンヌ国際映画祭のスペシャル・パルムドールを受賞した『イメージの本』(18)が最後の長編映画となった。
ゴダール監督とともにヌーヴェルヴァーグで活躍した映画監督たちは、エリック・ロメールとクロード・シャブロルが2010年に、クリス・マルケルが2012年に、アラン・レネが2014年に、ジャック・リヴェットが2016年に、そしてアニエス・ヴァルダが2019年と、この十数年の間に次々とこの世を去った。またゴダール監督の最初の妻であるアンナ・カリーナが2019年に、2番目の妻であるアンヌ・ヴィアゼムスキーが2017年に逝去している。
フランス映画の一時代を築いただけでなく、その存在が映画史そのものであったゴダール監督。早逝したかつての親友トリュフォーをはじめ、ヌーヴェルヴァーグの同志たちのもとでどうか安らかに。心からご冥福をお祈りいたします。
文/久保田 和馬