『ボヘミアン・ラプソディ』脚本家が説く、ホイットニー・ヒューストンの映画に込めた“賛美”の想い
「書き始める前に被写体と親密になる必要があると思っています」
――実際に、ホイットニー・ヒューストンとお会いになったことはありましたか?
「いちファンとして彼女を見ていただけで、一度も会ったことはありません。いままで私が手がけた映画でも、100年前に亡くなっている方だったり、実際に会えなかったりすることがあります。でも、脚本を書く前には、その人たちを実際に知っているように感じていなければなりません。だから、私の仕事の初期段階の興味深い点は、リサーチを通して彼らの仕事ぶりを知ることです。そして、彼らの輪郭を掴めたと感じられたら、書き始めるのです。それは一種の友情を築く作業であり、書き始める前に被写体と親密になる必要があると思っています」
――ホイットニーを友人として感じられるようになるまで、どれくらいリサーチをされたのでしょうか。
「プロセスには長く、ゆっくりと時間をかけました。おわかりのように、私はニュージャージー出身の黒人女性ではありません。ニュージーランド出身の白人男性です。私の旅は、いつもながらチャレンジングなものでした。彼女の生い立ちを理解し、彼女がどのような世界から来たのかを理解し、彼女の話し方を理解しなければなりませんでした。彼女はどんな話し方をしていたのか?彼女はなにを考えていたのか?彼女の人生における大きな試練はなんだったのか。意識するしないにかかわらず、私たちの人生にもそういった問いはつきまといます。
私が考えたのは、彼女は”ホーム(家)”を探していたのではないかということ。彼女の人生がそうでした。彼女が幼いころに両親の結婚生活が破綻しています。そして、心が安らげる場所を探すようになりました。彼女はそれで苦労し、すべてが正しい選択とは言えませんでした。でも最終的に、『彼女は家を見つけた』と、この映画で結論づけました。彼女は、ステージ上の自分を慕う人たちからそれを見つけたのです。ステージ上の彼女は本当に守られ、自分の人生の主であったのだと思います」
「『ボヘミアン・ラプソディ』を作った時は、こういった映画が大ヒットするという認識はありませんでした」
――あなたが脚本を書かれた『ボヘミアン・ラプソディ』は日本でもとてもヒットし、多くの人が愛した映画です。この映画の成功からあなたが得たものはなんでしょうか? 今作にはどのように活かされていますか?
「『ボヘミアン・ラプソディ』を作った時は、こういった種類の映画が大ヒットするという認識はありませんでしたし、この作品が興行収入10億ドルを達成できるとは誰も思っていませんでした。スーパーヒーロー映画だけが、そんな興行収入をあげていた時代です。私たちはクイーンの音楽と共に、とても小さな物語を語っていました。そして、なにかが起き、世界的な興行でもなにかが起きました。巨大な予算のマーベル映画と同じくらい楽しい、新しいジャンルが発明されたのだと人々は口々に言いました。それは、偉大なアーティストの姿を目の当たりにすることでした。そして、音楽は、私たちの魂にまっすぐに差し込み、とてつもなく感動させ、興奮させ、涙を流させるということを伝えてくれました。『ボヘミアン・ラプソディ』では、音楽とドラマを一緒に語る伝達手段の威力を学びました。
こうして、私はホイットニー・ヒューストンのプロジェクトに着手しました。ここにも、世界中の人々に愛されるすばらしい音楽があります。どうしたら、私たちが感動したのと同じくらい、映画をご覧になる方々を興奮させることができるのか。『ボヘミアン・ラプソディ』のように、どうしたら観客の涙を誘うことができるのか。そして、私はできあがった作品にとても満足しています」
――最後の質問になりますが、また実在の人物を描くとしたら、誰の物語を書いてみたいですか?
「では、あなたとこの記事を読まれる方にだけ、トップシークレットを打ち明けましょうか。私はずっと、オノ・ヨーコと一緒にプロジェクトに関わっていました。子息のショーン・レノンが、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの映画をプロデュースしています。これはまた大きな音楽伝記映画になる予定で、今年中に撮影を開始したいと思っています」
取材・文/平井伊都子