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“意図的な余白”が恐怖を煽る「ガンニバル」第5話レビュー。「死産」「祭り」…真相に迫るワード続々

コラム

“意図的な余白”が恐怖を煽る「ガンニバル」第5話レビュー。「死産」「祭り」…真相に迫るワード続々

敢えて描かないことで視聴者の嫌悪感、恐怖心を煽る

…といった感じで、全体的には静かなトーンで統一されているのだが、物語が一気に進んだ感のある第5話。そして、本エピソードで特徴的なのは「敢えて描かない」アプローチが逆説的に視聴者に強く訴えかけるというテクニックの上手さだ。第5話のトピックを一言で言うなら「供花村で子どもを喰っている疑惑が浮上」だが、その禁忌が間接的な描写により強められている。つまり、意図的に余白をつくることで我々の想像力や道徳心におもねる…視聴者が能動的に嫌悪感を示したり恐怖心を抱く、という方法論だ。

供花村にまつわる恐ろしい疑念に直面していく大悟
供花村にまつわる恐ろしい疑念に直面していく大悟[c]2022 Disney and its related entities

人間は、想像する生き物だ。「この村で人が食べられている」と聞くだけでもおぞましさに身の毛がよだつだろうが、そこには「言葉をインプットする」「想像する」「感情がアウトプットされる」というプロセスがある。そこに、ファジーな “人”でなく“子ども”が加わり、さらには「死産を偽装し、親元から取り上げられ、食べられるためだけに生きている」が足された時に、解像度は一気に増すはずだ。フィクションとはいえ、想像するだけで拒否反応を示してしまう人だっているだろうし、「なぜそんなひどいことを!?」と怒りに打ち震える人もいるかと思う。先ほど第5話を「静か」と述べたが、観ている我々の心境としてはまるで真逆の激情がのたうち回っている…。このギャップが、実に興味深い。

第1話から一貫して“子どもの存在”が重要なテーマに

そして、本エピソードでほぼ唯一と言っていい直接的な描写は、加奈子だ。さぶから暴力を振るわれたであろうあざもそうだし、子どもを理不尽に奪われた母親の苦しみを全身全霊で演じ切った山下の絶望と憤怒の芝居が凄まじい。そして、前回から引きずる京介の喰われた顔…。被害者たちの“いま”が、強烈に引き立っている。


大悟の娘、ましろを通して子どもの大切さを描いていく
大悟の娘、ましろを通して子どもの大切さを描いていく[c]2022 Disney and its related entities

さらに俯瞰で見ていくと、「ガンニバル」は “子ども”が重要なテーマの一つとも言える。大悟は娘のましろ(志水心音)を守るために人を殺し、有希はましろのために供花村での生活を受け入れようとする。子どもがいかに大切な存在かを第1話から描いている前提があるからこそ、原作以上に細やかに描かれる有希と加奈子の母としての共鳴のドラマが響き、子どもを蔑ろにするさぶや村の人間たちが悪鬼に見えてくる部分もあろう。そしてこの“子ども”というテーマは、残り2話でより深掘りされていく。そうした意味でも、第5話は作品全体の主題を司るエピソードとなった。

文/SYO

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