原作者・安田弘之&今泉力哉監督が語り合う、いまを生きる人が『ちひろさん』に癒される理由「人は誰もが“見抜かれたい”」
「ちひろと出会うことで、視野が広がっていく」(今泉)、「ちひろの目に自分の想いを託しました」(安田)
――どこに向かって頑張っているかわからなくなった時や、どうしようもなく孤独を感じている時など、ちひろさんの言葉に励まされたり、救われたりしている人がたくさんいると思います。改めて、ちひろさんが人々を癒す理由をどのように感じていますか?
今泉「多様性が認められつつある時代ですが、それでも自分の存在をないものとされたり、いまの社会で生きづらさを感じている人もたくさんいると思います。僕は、ちひろさんって『大人はこうしなければいけない』という常識の枠から外れた人だと思うんです。変な大人なんですよね。何者にも迎合せず、自分を貫きながら生きているちひろさんに出会うことで、『こんな大人がいていいんだ』と視野が広がったり、救われた気持ちになったりするはず。まだまだ苦しく、大変な時代ですが、近い将来にはちひろさんのような存在が特別なものではなくなるといいなと思っています」
安田「僕は、人って“見抜かれたい”生き物だと思っていて。こちらからはなにも言っていないのに、自分のことを見抜いてもらうとものすごく幸福を感じる。漫画を読んだ方からは『ちひろさんの目が恐ろしい』という感想もよくいただきますが、僕はちひろの目に自分の想いを託しています。大人になると嘘と嘘でコミュニケーションを取ることもあって、だんだんとそういう会話に慣れてしまうものですよね。でもどこかで、その嘘をはぎ取ってくれる存在や、自分の嘘がバレることを望んでいる。ちひろは言葉にせずとも、目で『あなたは嘘を言っていますよね。私はわかっていますよ』と語っている。これは僕自身が、子どものころにほしかった目なんです。子どもらしい振る舞いをしながら『大人をだますことって簡単だな』と思っていたようなところがあったんですが(笑)、だませない大人がいてほしいと思っていました」
――では「ちひろさん」の誕生秘話としては、ご自身のほしかったものをちひろさんに投影しながら描き始めたということでしょうか。
安田「そうです。僕もちひろのような目がほしかったし、恐らくいまみんながほしいものなんじゃないかなと思います。見抜かれるってとても怖いことだけれど、見抜いてもらうと安心する。作中でちひろと、なぜかちひろさんに惹かれる女子高生のオカジが出会うシーンは、まさにそういった瞬間になります。本作を楽しむ人には、“誰かに自分を見抜かれる幸せ”をぜひ擬似体験してほしいと思っています」
――いまお二人の創作の原動力になっているのは、どのようなものですか?
安田「僕が描いたもので、誰かが救われたり、元気づけられたり、ちょっと生き方が変わったり。そんな人が生まれていると思うととてもうれしいです」
今泉「自分がつくったもので、誰かの人生を変えてしまうことに怖さを感じることはありますか?」
安田「僕は『こうしなさい』というものを描いているわけではなく、『こういう生き方をしている人がいるよ』というものを描いているので、そこに対する怖さはないですね」
今泉「なるほど。僕は人に影響を与えるのも怖いし、創作することがめちゃくちゃ怖くて…。それでもなぜ創作を続けているのかと思うと、自分のためなんですよね。自分がわからないことや、答えが出ない悩みを映画にして、それについてみんなが話してくれることがうれしくて。ほんの些細な悩み、ないものにされているような悩みについて描いていきたいと思っていますが、それは決して答えを提示したいわけではなく、映画がみんなでなにかを考えるきっかけになったらいいなと思っています」
――今日のお話から安田さんと今泉監督が共鳴し合っていることが伝わってきましたが、お2人の作品は「人は基本的に孤独なものだ」と感じられる点も共通しているように思います。
今泉「そうなんですよね。孤独って決していけないことではなくて、当たり前にあるものなんですよね」
安田「当たり前なんですよ。孤独をなんとか解消したいと思っていろいろと頑張るんだけれど、倒れるまで頑張って、頑張ったあげくに『孤独や疎外感は消えない』ということがわかる」
今泉「あはは!消えない!」
安田「消えないんだとしたら、どうやって孤独と付き合っていくかが大事で。そう考えてからは、人生が数段おもしろくなってくると思いますよ」
取材・文/成田おり枝