“スピルバーグの映画愛あふれる渾身の1本”夢を追う少年はどうやって巨匠になった?名作誕生の裏側もわかる『フェイブルマンズ』は胸熱!

コラム

“スピルバーグの映画愛あふれる渾身の1本”夢を追う少年はどうやって巨匠になった?名作誕生の裏側もわかる『フェイブルマンズ』は胸熱!

オスカー作品誕生の裏には苦労した青春時代の想い

映画を撮ることが大好きになったサミーは10代になり、友人たちの協力も得て、より本格的な撮影を行うようになる。『フェイブルマンズ』では、映画少年たちのこうした奮闘が瑞々しいタッチでつづられていく。サミーは、かなり過激なアクションも盛り込んだ西部劇や、40人もの人を集めて8mmフィルムで戦争映画を撮影するが、これらは実際にスピルバーグが少年時代で撮った作品がモチーフ。戦争映画では、その悲劇を伝えるためにメインのキャラクターをどう映すべきか。すでにこの時、スピルバーグは察していたことが描かれ、このひらめきや強い信念は『プライベート・ライアン』(98)で活かされたと考えられる。

サミーが撮った映画は町でも評判になっていく
サミーが撮った映画は町でも評判になっていく[c]Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

また、一家が各地を転々としたあと、ようやく落ち着いたカリフォルニアで、高校に通うサミーはユダヤ人であることで、いじめを受ける。こうした差別や、人種への意識が、後の『シンドラーのリスト』へつながったのは明らかだ。

ユダヤ系であるスピルバーグにとって、大勢のユダヤ人を救ったドイツ人実業家の実話『シンドラーのリスト』を手掛けることは必然だった
ユダヤ系であるスピルバーグにとって、大勢のユダヤ人を救ったドイツ人実業家の実話『シンドラーのリスト』を手掛けることは必然だった[c]Everett Collection/AFLO

『プライベート・ライアン』と『シンドラーのリスト』といえば、アカデミー賞監督賞に輝いた2本。世界的な大ヒット作をいくつも手掛けつつ、オスカーまでは時間がかかったスピルバーグ。自身の原体験と、自他共に認める傑作へたどりついた喜びを『フェイブルマンズ』で重ねたかったのかもしれない。


『プライベート・ライアン』と『シンドラーのリスト』でアカデミー賞監督賞に輝いたスピルバーグ
『プライベート・ライアン』と『シンドラーのリスト』でアカデミー賞監督賞に輝いたスピルバーグ[c]Everett Collection/AFLO

誰もが共感できる!夢を持つ人にエールを贈る作品

2005年、『ミュンヘン』を撮影中に脚本家のトニー・クシュナーが、スピルバーグから監督になろうと決めた少年時代の思い出を聞き、ようやく機を熟して完成した『フェイブルマンズ』。たしかに映画監督として最高峰を極めた“偉人”スピルバーグの物語ではあるが、同時に多くの人に感情移入させる魅力が備わっているのも事実。子ども時代になにかを大好きになる瞬間。夢中になったなにかが将来の職業を導く希望。大人への階段を登りながら、夢に近づく努力。そして家族や友人との関係…と、描かれる物語のどこかに、誰もが必ずリンクできるのは間違いない。

青春の喜びや痛みといったすべての出来事が、サミーが前に進む糧になっていく
青春の喜びや痛みといったすべての出来事が、サミーが前に進む糧になっていく[c]Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

スピルバーグの実体験を描いた物語だけではなく、どこかで主人公のサミーに自分自身も投影してしまう本作に、
「自然と涙が出ていました…それはきっと誰もが共感できるお話」
「彼の手掛けた作品一つ一つのエッセンスがぎゅっと詰まった宝石箱のような物語」
「人生は思うようにはいかないこともあるけれど、一瞬一瞬の時間、一つ一つの出来事すべてに意味があることを気づかせてくれる、とってもすてきな作品」
「ほかのなにをしている人でも自分の人生を動かしているなにかについて想ってしまう映画だと思う」

といったコメントもズラリ。いままさに夢に向かって突き進んでいる人、思わぬ壁に心が挫けそうになっている人、かつて夢を追いかけて奮闘した人など、大勢にエールを贈る作品になっている。スピルバーグはいかにして映画界を代表する監督になったのか?輝きにあふれたその軌跡を、ぜひ劇場で体験してほしい!

文/斉藤博昭


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