最初はミュージシャンとして見られていなかった?坂本龍一が巨匠ベルナルド・ベルトルッチと組んだ「オリエント三部作」の軌跡
坂本の映画音楽の最高峰『シェルタリング・スカイ』の苦難
オスカー9部門を受賞した『ラストエンペラー』の世界的な大ヒットは、坂本だけでなく、ベルトルッチ、大島の運命も変えることになる。それを後押ししたのは、前述のプロデューサーであるジェレミー・トーマスだった。
ベルトルッチは、次回作に低予算のシンプルな映画を作ろうとしていた。それがポール・ボウルズ原作の『シェルタリング・スカイ』。モロッコ、サハラ砂漠などでオールロケを行う1組の夫婦の物語は、確かにローバジェットで作る映画に相応しい。ところが、最終的に製作費は『ラストエンペラー』に匹敵する額となり、砂漠に豪華なセットを建てるなど、『ラストエンペラー』バブルの余波が、本作に波及する。
大島も、サイレント時代にハリウッドで活躍した日本人スター、早川雪洲を主人公に、製作費70億円の大作『ハリウッド・ゼン』をジェレミーのプロデュースで準備していたが、これも『ラストエンペラー』のヒットあればこその企画だろう。同作の主演と音楽はもちろん坂本である。
『シェルタリング・スカイ』をベルトルッチが映画化するという噂を聞きつけた坂本は、オファーされる前から原作を読んで準備に入った。もっとも、日本人が登場しないことから俳優としての出番はないだろうと判断し、音楽での参加を望んでいた。
ベルトルッチは本作の音楽について、「アフリカ的な音楽で西欧との葛藤をダイレクトに描くのではなくて、クラシックなスコアのなかにどこかローカルな感じのものを投げ入れて、両者の対立を際立たせるという、そういう音楽になりました」(「シネ・フロント」1991年4月号)と語る。しかし、その繊細な注文を実現させるには、苦難の道のりが待っていた。なにせ、レコーディングを開始する瞬間に、立ち会っていたベルトルッチが「このイントロは好きじゃない。変えろ」と注文を付けてくるのだから。
この時、坂本はオーケストラを30分待たせて、その場でイントロを作り直し、映画の中に流れる曲を完成させた。それは坂本自身も気に入る完成度となったが、ベルトルッチの映画に音楽を付ける作業は、その瞬間ごとに、素早く新たなアプローチで曲を生み出すことが求められた。個人的には、本作のテーマ曲「The Sheltering Sky Theme」は、坂本の映画音楽の最高峰ではないかと思えるほど美しく、叙情性とメロドラマ性にあふれ、深い余韻を残すと感じるだけに、ベルトルッチとの仕事が毎回、時間に追われるなかでここまでの高い完成度を到達させていたことに驚かざるをえない。
ベルトルッチへの“スウィート・リヴェンジ”『リトル・ブッダ』
『シェルタリング・スカイ』を撮り終えた時、ベルトルッチは次回作の候補にインド、中国、日本を舞台にした企画を3本抱えていた。インドはブッダをテーマにした大作、中国はアンドレ・マルローの小説「人間の条件」の映画化、日本は谷崎潤一郎の小説「少将滋幹の母」の映画化である。
ベルトルッチが選んだのは、最も実現が困難と思われていた『リトル・ブッダ』だった。坂本とベルトルッチが組んだ最後の作品でもあり、SFXを駆使したベルトルッチ版スティーヴン・スピルバーグ映画というべき豪華絢爛な超大作である。
しかし、『ラストエンペラー』を「変身(メタモルフォーゼ)を主題とした映画」と定義するベルトルッチにとって、メタモルフォーゼ=転生がテーマの『リトル・ブッダ』を手掛けることは、自然の摂理だったに違いない。
坂本との作業を、ベルトルッチは「最初はインド的なものからインスピレーションを得ていたのですが、音楽は、西欧風の叙事詩的な映画の伝統、すなわちハリウッド流のやりかたで修正されました」(「すばる」1994年6月号)と語るように、決して順調に進んだわけではなかった。実際、ベルトルッチは坂本の音楽に基づいてインドのヴァイオリン奏者に演奏し直させるなど、これまでにないリテイクが発生した作品になった。坂本によると、70曲ほど映画のために作ったが、実際はその3倍は書いたという。
本作が公開された1994年に発売された坂本のアルバム「sweet revenge」に収録された表題曲は『リトル・ブッダ』のために書かれたもので、ベルトルッチの判断で没になった曲である。タイトルも、それを踏まえて付けられている。
1980年代後半から1990年代前半にかけて、坂本はベルトルッチと3本の大作映画を共にしてきたが、その間に再三延期されたきたのが大島の『ハリウッド・ゼン』だった。製作費の調達が思うように進まず、ジェレミーは『シェルタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』を当てることで実現にこぎつけようとしていた。しかし、『ラストエンペラー』のようなヒットにはいたらず、遂に幻のまま潰えた。
坂本は、「ジャズの時代の1920年代をどう表現するか自分も楽しみにしており、『戦メリ』以上の作品にしたい」(「キネマ旬報」1992年4月上旬号)と『ハリウッド・ゼン』への抱負を語っていただけに、『シェルタリング・スカイ』での到達を思えば、続いて本作を手掛けていれば、どんな音楽が生まれていたのだろうと思わずにいられない。
こうした周辺状況を踏まえて「オリエント三部作」を観れば、〈生まれてきた映画と音楽〉と、〈生まれなかった映画と音楽〉にそれぞれ想いを馳せた映画体験になるだろう。
文/吉田伊知郎
※参考文献「キネマ旬報」「映画芸術」「リュミエール」「シネ・フロント」「すばる」「土曜ソリトンサイドBリターンズ」
【スターチャンネル 放送情報】
■『シェルタリング・スカイ』
6月15日(木) 21:00~
■『リトル・ブッダ』
6月16日(金) 21:00~
■『御法度』
6月17日(土) 21:00~
※3作品とも再放送あり
109シネマズプレミアム新宿連動企画 坂本龍一コレクション