『呪怨』に憧れて上京し、映画監督に!Jホラーの“次世代”が清水崇監督と夢の対談「ようやく一歩踏みだせた」
「近藤監督以外の人には撮れないような、空気のヤバさが増していた」(清水)
――清水監督にお聞きします。『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』を大賞に選んだ決め手はどういったところだったのでしょう?
清水「選考委員の方々はみんなそれぞれ好みが違っていて、例えば堀未央奈さんはグロテスクなものが大好きで、FROGMANさんは実写作品をアニメーションの観点でも観るし、宇野維正さんは商業作品を作った時に観客から支持を得られるのかというジャーナリスティック的な視点で考える方です。みなさん選ぶ監督たちとそれぞれ色々な関わり方ができるけれど、僕の場合は同じジャンルの同じ監督同士。ゆくゆくはライバルになる人を選んでいるから、好みだけで選べない部分も多くて。
なので、僕を含めた選考委員たち、主催人である小林プロデューサーのあいだで最終的な決め手になったのは、商業で長編まで作り上げる力量がこの監督にあるのかどうかということでした。今回の最終選考に残った監督たちには、近藤監督と同じように前回の受賞監督も何人かいて、選考会議では前回の作品と今回の作品を見比べ論じたりもしました。『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はそのなかでも、こういう作品で来たか!という驚きがあって。それに加えて、前回よりも今回のほうが近藤監督以外の人には撮れないような空気のヤバさが増していたように感じました」
近藤「ありがとうございます!清水監督からそう言っていただけてとても嬉しいです。実は僕、中学生の時に『呪怨』を観た時に、こんな怖い映画を作ったのは誰だろうと調べて清水監督のことを知って、追いかけるようにして映画美学校に入ったんです」
清水「本当に!?すごいうれしいです。男同士で褒め合うのってなんだか照れくさいなあ(笑)」
近藤「『呪怨』を観た時に、それまで感じたことのないような脳みそがしびれたような感覚になったんです。とにかくずっと怖くて、映画に幽霊を出すっていうのがこんなに怖いことなんだと初めて感じた作品でした。映画美学校に入ってからもホラー映画を何本か撮りましたけど、なにをやっても清水監督よりうまくできる自信が生まれなくて…。出したいけれど、このやり方では『呪怨』と同じになってしまうと、試行錯誤の連続で」
清水「僕も『呪怨』を撮った時はまだ若かったし、周りからは『ちょっと見せすぎなんじゃないの?』と散々言われましたよ。照明部とも喧嘩になったし(笑)。当時は“小中理論”の全盛期だったから、ああいう見せ方は邪道だと思われていたし。でもだからこそ、もうホラー映画を怖く見せる手立てはほかにないだろうと開き直って自分の思うまま、見たかったままに堂々とやってみようと。それがまさかあんなに反響があって、20年以上経ったいまでも“『呪怨』の清水”と呼ばれるようになるなんて思ってなかったですけどね」
近藤「昨年、第1回の受賞作の上映会があった時に出席する予定だったのですが、コロナにかかって来られなくて。ちょうどその日清水さんがサプライズで登壇されたと聞いてショックでした」
清水「そういえばコロナで来られない監督がいるという話を聞きましたが、近藤監督だったんですね」
近藤「第1回の授賞式の後にあった『回路』や『女優霊』の上映会も観に行って、黒沢さんや高橋さんとのトークショーも拝見しました。とても勉強になりましたし、貴重な機会をありがとうございます」
清水「あの上映会を提案したのは僕なんです。『回路』はいまでもハマる人の多いホラー映画ですからね。公開された当時はまだ『リング』が流行った影響が強くて、黒沢さんも『僕も「リング」のような作品をとお願いされて真似しちゃったよ〜』って話してて。ところが制作前から『どうも、次の黒沢組、Pやスタッフの誰も脚本を理解できていないらしいよ』なんて噂が耳に入ってきて、完成後に大映のPから『どう思います?』って相談され僕一人の試写会を開かれちゃって…観たら『なるほど。こりゃ高等過ぎる…いや「リング」?全然違うよ!』って言いたくなったのをよく覚えてます(笑)」
「いつまでも“『呪怨』の清水”じゃダメ」(清水)
清水「でも中学生ぐらいで『呪怨』に出会うっていうのはいいですよね。僕はそもそもホラー映画を観れるようになったのが中学生の頃で、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』とか、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』とか、サム・ライミ監督の『死霊のはらわた』とか、いまでもビビりながら観たのを鮮明に覚えてますから。映画って、大人になって観返してみると『あれ、この程度だっけ?』ってなることが多いですけれど、あの当時観た名作群はいま観てもすごく怖いし、よく出来ていますね」
近藤「そうですよね。特にホラー映画の価値は怖いか怖くないかという生理的なものなので、作り手がいくら頑張ったところで観客が怖くないと言ったらもう返す言葉もなくなってしまうように感じます」
清水「そうですね、説明しちゃうことほどダサいものはないし」
近藤「お笑いとかも同じですよね」
清水「そうそう!」
近藤「映画美学校で学んでいくなかで、『ありきたりだ』と言われることがあって、心が折れそうになることが何度もありました。自分のなかではそれとかなり戦ってきたつもりなので、今回大賞をいただけて、こうして認めていただけただけでやってきてよかったなと心から思えています。27歳の時に『映画美学校に入ってホラー監督になります!』と言って上京してきたので、ようやく一歩踏みだせた気持ちです」
清水「いつまでも“『呪怨』の清水”、“『リング』の中田”だけじゃダメですよね」