キム・テヒ×イム・ジヨンが熱演。予測不能の韓国シスターフッド・サスペンス「庭のある家」って?
ここ数年の韓国ドラマ界では、女性主人公が活躍するサスペンスの傑作が多数生まれている。今夏の話題をさらうのは、Huluで配信中の「庭のある家」だ。同名のベストセラーミステリーを原作に、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を手掛けたKT STUDIO Genieが企画し、“名作の影にその名あり”と言われる制作会社スタジオドラゴンが名を連ねている。
共同体を守る空間であり、誰かを閉じこめる場所。「庭のある家」の“家”が象徴するもの
ソウルから離れた韓国郊外に暮らすジュラン(キム・テヒ)は、あるとき庭から漂う悪臭に悩まされ始める。小児科医の夫ジェホ(キム・ソンオ)や息子スンジェ(チャ・ソンジェ)に訴えても、2人には感じないと言う。同じ頃、ごく普通の主婦サンウン(イム・ジヨン)は、薬剤師の夫ユンボム(チェ・ジェリム)から激しいDVを受け続けていて、悲惨な生活から抜け出すことを考えていた。そんななか、ユンボムが遺体で発見される。彼の死をきっかけに、ジュランとサンウンの運命が交錯していく。
オープニングには、ジュランが住む庭付きの豪邸が映しだされる。大きなガラス張りの窓が印象的な家に、ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(19)を想起した視聴者も多かっただろう。ソウルでは住宅を得ることが困難な時代が続いている。長引く不動産価格の高騰、若者を中心とした経済格差によって、マイホームはおろか、まともな家を借りることもままならない社会だ。『パラサイト 半地下の家族』は、家庭格差が生むアイロニカルな関係性を、半地下と豪邸という“家”をモチーフに鮮やかに描きだしたが、郊外を舞台にした「庭のある家」における家とは、また別の象徴的意味合いを持つ。劇中、家とは「自分だけが知っている秘密が埋まっている場所」という意味深長なセリフがある。外から中が見えない“家”という空間は、共同体を守る空間だ。同時に、家父長制いま今なお根強く残る韓国では、誰かを閉じ込めて苦痛や加害を隠す牢獄でもあることも、ドラマの中で語られている。
暴力に晒される2人の女性。「庭のある家」に描かれた夫婦の不幸な共依存
ドラマには、夫婦の不幸な共依存が描かれている。ユンボムはサンウンにすさまじいDVで痛めつけた後、決まってそうしているように高級品を渡したり、好きな食べ物を買い与えたりして“優しい夫”のふりをする。サンウンは、卑劣な夫の悪行をすべてビデオ録画しているが、なかなか別れを切り出せない。ユンボム自身も不幸な生い立ちのせいで人格が歪んだことを、彼女は知っている。そして、妊婦であり、認知症の老母を抱えた自分に行き場がないことも、よく理解しているのだった。そんな彼女に、ユンボムはつけ込んでいるふしがある。
一方で、サンウンはステロタイプの被害者というよりは、より厚みのある複雑なキャラクターとして造形されている点が興味深い。よく現れているのが食事のシーンだ。それまではイチゴアイスばかりを口にしていたが、夫が謎の死を遂げた後に解放されたように豹変する。チャジャンミョンやタンスユク(酢豚)、餃子をむさぼり喰い、ジュランの家で出されたお茶をがぶ飲みする。やられているばかりではない、したたかで、しぶとい生命力を感じさせる躍動的なキャラクターだ。「ザ・グローリー ~輝かしき復讐~」のカン・ヒョンナム(ヨム・ヘラン)が言い放った「私は明るい被害者なの」というセリフを思い出す。悲しい経験をしている人間も、様々な表情があるはずだ。か弱くていつも泣いているだけという既成概念に押し込めることは、そう振る舞わない被害者の傷を排除してしまう。韓国ドラマが、いかに多様な現実を高い解像度で見ているかがうかがえる。
ジェホも、ユンボムとはまた異なる形でジュランを抑圧している。彼女は以前、姉が何者かに殺害されるという悲劇に遭った。その後、姉を手にかけた犯人が部屋の隣人であり、スンジェの担任教師ではないかと疑うが、ジェホは全く意に介さなかった。姉への罪悪感に苛まれていたジュランは、ついに教師に対し傷害事件を起こしてしまう。家族がソウルから離れて暮らすようになったのは、こうした理由だった。
ジェホの口調は一見穏やかで、PTSDに苦しむジュランを気遣う言動も見受けられる。小児治療の権威としてテレビ出演もするなど、ステイタスと知性、品を兼ね備えた男性に見える。しかしその一方で、ジュランの髪を梳かしてやる姿には、陰湿な支配欲が漂っている。
ジュランが姉の事件の犯人や庭の悪臭を訴えても、ジェホは耳を傾けようとせず、「君は普通ではない」と言い含める。問題の多い自分自身を省察しようせず、伴侶を追い詰めていく彼のような行為は、心理的DV「ガスライティング」の典型的な例だ。
「ガスライティング」とは、『ガス燈』という同名の戯曲とサスペンス映画に由来する。ある女性が、家で不審な音がしたり、部屋のガス灯が急に小さくなったりする現象に遭遇する。彼女は不安を夫へ訴えるが、彼は「君の気のせいだ」「少しおかしいんじゃないか?」と取り合わない。実は夫が意図的に家で物音を立て、ガス灯を消していたのだが、そうとは知らない妻は自分自身の判断が信じられなくなり、「私はおかしいんだ。一人では生きていけないんだ」と追い詰められていく。この卑怯な手口が用語として世界的に認知され始めたのは、2018年ごろと意外に新しい。ガスライティングは肉体へのDVと違い暴力の痕跡が残らず、被害者は自分に非があると思い込み訴え出ないため、周囲も気づけない。『ガス燈』は1940年代の作品だ。実に古い時代から、いかに女性たちが夫の抑圧に耐え、精神的に殺されてきたかを痛感する。