クリストファー・ノーラン監督の集大成。『インセプション』『インターステラー』など過去作の手法から紐解く『オッペンハイマー』へのこだわり
今年のアカデミー賞で最多の13部門ノミネートを達成し、作品賞でもフロントランナーの位置につけている『オッペンハイマー』(3月29日公開)。今回の賞レースでは、クリストファー・ノーラン監督のこれまでの功績も讃えられている。ノーラン監督作が、アカデミー賞作品賞にノミネートされたのは『インセプション』(10)、『ダンケルク』(17)に続いて今回で3度目。それ以前の『ダークナイト』(08)が大ヒットを記録し、作品も高評価だったにもかかわらず、作品賞にノミネートされなかったことが要因で、翌年からアカデミー賞作品賞のノミネート枠数が、それまでの5枠から最大10枠にまで広げる措置がとられた。ノーランはアカデミー賞の歴史も動かしたわけである。
そのほかにも『メメント』(00)が2部門ノミネート。『インターステラー』(14)は5部門ノミネートで1部門受賞。『TENET テネット』(20)は2部門ノミネートで1部門受賞など、ノーラン作品はアカデミー賞の常連。その流れで今回の『オッペンハイマー』につながったのである。ノーラン自身は脚本賞や監督賞などノミネート経験はあるものの、受賞はゼロ。今回の監督賞では悲願のオスカー獲得に期待がかかる。
このように『オッペンハイマー』は、クリストファー・ノーランにとって、ひとつの集大成と言えるが、同時に彼のこれまでの作品を振り返ると、「新たな1ページ」という印象もある。第二次世界大戦下で、原子爆弾開発の中心人物として携わった物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの人生を描く「伝記映画」というのが、ノーラン作品では異色だからだ。ただし、これまでの監督としての軌跡を振り返れば、なぜここに到達したのかにも想像を広げることができる。
時間逆行や革新的な映像表現。そのこだわりは初期作品から
クリストファー・ノーランにとって初の長編監督作は1999年の『フォロウィング』。続く2作目の『メメント』で、その才能が映画ファンの間にも広く知れわたったが、『フォロウィング』では時系列がシャッフルされ、『メメント』では10分前の記憶を忘れる男を主人公に、時系列を逆方向に描くなど、映画における“時間”に対し、独自の表現を追求するスタンスに、映画作家としての原点を感じさせた。これは後の監督作で、さらに深掘りされることになる。
『メメント』の成功で、アル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズという大スター共演の、不眠症の刑事が難事件に挑む『インソムニア』(02)の監督を任されたあと、『バットマン ビギンズ』(05)に始まる「ダークナイト」トリロジー(三部作)で、ノーランはそれまでのアメコミヒーロー映画を革新。2作目の『ダークナイト』は当時の全米興収で歴代2位を記録するなどヒットメーカーの立ち位置も築いた。
その後も『インセプション』では、人間の夢の中へ入り込み、その潜在意識にあるアイデアを盗む…という、前代未聞のドラマで、夢の世界を驚異的なビジュアルで表現。『インターステラー』では超遠距離の惑星移動というミッションで、地球と宇宙旅行における時間の流れの違いを描き、エモーショナルな感動へとつなげた。続く『ダンケルク』では、非現実的ワールドが作風になりつつあったノーランにしては、珍しく史実を基にしているが、陸・海・空、それぞれの戦闘が映画では同時進行しているように描きつつ、実際の時間の進み方は異なる、という特殊な演出にチャレンジ。そして『TENET テネット』では、もろに時間が逆行する様子を映像化した。
この流れからすると、たしかに『オッペンハイマー』は、ノーランの新たな方向性という印象も強い。オッペンハイマーの後年のドラマの一部が前半に挿入されるなど、多少の時系列のシャッフルはあるにせよ、基本的には彼の人生を時系列にたどっていくからだ。しかし“物理学者”と“時間”に関しては大きなリンクもある。『インターステラー』での宇宙旅行では、ノーベル物理学賞を受賞したキップ・ソーンの「ワームホール理論」が扱われ、同氏は映画のコンサルタントも務めた。キップ・ソーンは『TENET テネット』にも協力し、科学的考証から時間逆行の描き方についてアドバイスを与えている。そのキップ・ソーンは学生時代、オッペンハイマーの講義を受けた経験を持つ。ノーランは、ソーンとの密な関係から、量子物理学への興味を募らせ、オッペンハイマーにたどりついたのである。ちなみに今回、オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーは、キップ・ソーンから生前のオッペンハイマーの思い出を聞き、演技の参考にしている。また、常に映画の新たなアップデートを追求してきたノーランにとって、自身の作家性をアップデートするうえで、『オッペンハイマー』に取り組んだとも推測できる。