報道のエキスパート・笠井信輔が語る。『ミッシング』があぶり出す、テレビマンの葛藤とマスコミのリアル

インタビュー

報道のエキスパート・笠井信輔が語る。『ミッシング』があぶり出す、テレビマンの葛藤とマスコミのリアル

「砂田は人として善良。でも報道マンとして正しいかはわからない」

砂田は、自分の報道に対する信念と会社の方針のズレに葛藤するように
砂田は、自分の報道に対する信念と会社の方針のズレに葛藤するように[c]2024「missing」Film Partners

ミッシング』の砂田は、世の中の関心が薄らいでいき、そして他局が報道から退いていっても取材を唯一続け、娘が見つかることを願って沙織里に寄り添おうとする。しかし一方で、局の論理とシステムに直面してゆく。大いにもがく砂田を、笠井はどう見たのか。

「実際の現場の記者やディレクターは、『視聴率を稼ぎたい』とか『おもしろけりゃいい』なんてことだけを行動原理にはしていません。というか基本、取材対象に感情移入していくものなんですね。それを組織の仕組みの中で、デスクやプロデューサーが『報道するうえでもう少しフラットに戻して』とサジェスチョンし、そのバランス感覚によって番組は成り立つ。ただし、一部の上司が視聴率のことを考えて指示をだすことも。組織の様々なパワーバランスが歪に働くことがあり、報道マンでありサラリーマンでもある砂田の難しい立場を、この作品はリアルに掴まえています。砂田は善良な報道マンなんですけど、ちょっといい人すぎるんですよね。インタビュー中、取り乱して泣く沙織里を見て、『一旦休憩しましょうか』とカメラを止めるのですが、“ああ〜、砂田は心が弱いなあ”と思ってしまいました。自分も、被害者や遺族に心を寄せて取材にあたる報道マンを目指してきましたが、あの場面、私ならば葛藤しつつもカメラは止めません。ここに世間の方々と、テレビ、マスコミに携わる人間との乖離が生まれる。つまり、涙のあとの表情、キツい状況から絞りだされた言葉にはきっと、当人が表出したかった“本心が宿る”はずなんです。無論、相手に強いストレスを与えてしまう方法ではある。だから砂田が沙織里のことを慮るのは人として正しいんですが、報道マンとしてはどうなのか…。これは皆さんにはなかなか受け入れてもらえない気がしますし、その隔たりが埋められない限り、私たちは“マスゴミ”と呼ばれるのだろうなと覚悟しています」

取材のため沙緒里の自宅を訪れる砂田。そこに一本の電話がかかってくる…
取材のため沙緒里の自宅を訪れる砂田。そこに一本の電話がかかってくる…[c]2024「missing」Film Partners

本気でこう語る笠井は身体の隅々に、“報道に携わる者の宿命”を刻みつけている。砂田というキャラクターも宿命を背負い、局面ごとに苦しい選択を突きつけられ葛藤する。とりわけ娘の最後の目撃者となった沙織里の弟、圭吾(森優作)に疑いの目が注がれ、上層部の命令でインタビュー映像を撮らねばならなくなるシチュエーション――。

「私も以前、似たような経験をしました。5年以上行方がわからない娘さんを探しているご家族への取材。その時『あの親族が怪しい』との告発を受けました。ぜひとも放送して警察を動かしてほしいと。けれども、放送はできませんでした。事実が確定しなかったので。当然、慎重に行動すべきです。砂田は『疑惑を晴らしてもらう』ためにもカメラを回すのですが、かえって疑惑が深まってしまう。そこで編集で、なんとかニュートラルに見えるよう留意する。『こういう流れで車を写したら、彼が犯人だと思わせてしまうよ』と、映像の”編集“が視聴者を誘導してしまうことを懸念するシーンが出てきますよね。吉田監督、的確で細かい!さすがですよ。報道機関をよくリサーチしています。が、そうやって考慮しても、いざ放送したらやはり話題が先行し、上層部は“疑惑の人物”としてターゲットを絞ってゆく。そればかりか特集番組内の映像の、砂田の思いも寄らぬポイントで沙織里にまで過失の声が上がってしまう。いまはネットの書き込みが暴走し、被害者家族にも直接的に言葉の刃が振り下ろされる時代です。吉田監督の冷徹な目が作り上げたシークエンスでした」

被害者の沙緒里と、報道側の砂田。2人の想いは少しずつすれ違っていく
被害者の沙緒里と、報道側の砂田。2人の想いは少しずつすれ違っていく[c]2024「missing」Film Partners

失踪事件だけでなく、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と2度、リポーターとして担当番組のスタッフと現地入りし、長期間の報道、取材を敢行した笠井は、行方不明者の安否を案じる人々と幾度も対面した。

「我々がよく言われたのは、『被災者によくマイクが向けられますね』と。そうですよね。被害が甚大な状況下。皆さん、無念にもどなたかを亡くされたり離れ離れを余儀なくされている。声をかけるのは不謹慎かもしれない。でもね、その中になにかを訴えたい方もいらっしゃるはずで、『いま、このことをわかってほしい』という喫緊の声を広く届けるには、ツラいけれども不特定多数の方々にマイクを向ける必要があったんです。理想ですが心ある視聴者に大切な情報を伝え、さらには有益なフィードバックをしてもらうんだと。中村倫也さんの好演が光る、砂田もそんな気概だったでしょう。ただ、本作をご覧になられて、『マスコミも苦労してるんだな』との感想に達するかといえば、恐らくほとんどの観客は『だからマスコミはダメなんだよ』という結論になる可能性が大。要するに、吉田監督は取材をした報道マンにも感情移入しすぎておらず、一歩引いたところで報道の実相を見つめており、これもまた本作の優れている点です。個人的に思うんですが被害者と報道する側、この2本の柱をここまでバランスよく描いてみせた作品って、指折り数えてもそんなにないんじゃないかなあ」

「映画の登場人物それぞれが、なんらかの板挟みになっているのが非常にリアル」

捜査に対し消極的な弟(森優作)に辛く当たる沙緒里
捜査に対し消極的な弟(森優作)に辛く当たる沙緒里[c]2024「missing」Film Partners

気づかれた方もいるかもしれないが、笠井の口からは“報道マン”はあっても“ジャーナリスト”という言葉は一度も出てきていない。

「たまに私でもジャーナリストの肩書きを頂くことがあるんです。震災に関して、体験本(『【増補版】僕はしゃべるために被災地(ここ)へ来た』新潮社刊)を書いたり、特集番組に専門家として招かれていたりするからでしょうか。でもテレビマン、あるいは新聞記者もそうなんだけど、容易に自分のことを『ジャーナリスト』とは名乗れないんですよ。それはやはり、組織の人間として働いてきた時間が長いからです。根っからフリーランスで活動している人が、胸を張ってジャーナリストと名乗れる気がします。本作の砂田や、一見横柄な上司のデスクだって組織内ではどうしても苦渋の選択を迫られ、ある種のバランスを取らないといけなくなる。もっと言えば映画の登場人物それぞれが、なんらかの板挟みになっているのが非常にリアル! とにかく、吉田監督はテレビマンを“マスゴミ”風に露悪的に描くことなく、そのうえで『信念を貫き通せ』とエールを送っているんですよね。自ら、あの剛腕の河村プロデューサーの進言と渡り合い、やりたいことを全うしたんですから。一本筋が通っています」

純粋に映画ファンとして笠井は、「老婆心ながら、世の中の方々に吉田恵輔という優れた監督の存在をもっと知ってほしい」と願う。

懸命に取材を続ける砂田だが、世間の目を煽るような取材を要求する上司に葛藤する
懸命に取材を続ける砂田だが、世間の目を煽るような取材を要求する上司に葛藤する[c]2024「missing」Film Partners

「私はね、是枝裕和監督と吉田監督は映画的に同じような高みを目指していて、でもアプローチは真逆、表と裏の関係だな、と思っているんです。是枝監督はもともと、ドキュメンタリストで子どもたちには基本、台本を見せずに現場で口立てで即興的に演出するし、大人の役者にカメラを向けても生々しいドキュメンタリータッチが秀でている。一方、吉田監督は即興ではなく、フィクションであることを徹底させ、役者さんをコントロールしながらもその都度、感情の“一回性のドキュメント”を成立させてゆく。で、やり方は違っていても、出来上がってくるものは事実のトレースではなく、両者は“真実”を炙り出そうとしているところが似ているんですね。本当に二人は対照的で、是枝監督は物静かで思慮深く話され、実際に大学の教授もやられている。吉田監督は普段と同じくインタビューの席や舞台挨拶でも明るいキャラクターで、すぐにおちゃらけるんですよ(笑)。日本は、是枝さんや濱口(竜介)さんのように世界で賞を獲ると一流監督といった風潮があるけれど、まだ無冠ですが吉田監督もそこに並んでいて、この『ミッシング』を撮ったことで今後ますます飛躍される思います」


取材・文/轟夕起夫

※吉田恵輔監督の「吉」は「つちよし」が正式表記

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