人はどうして”推し”に人生を捧ぐのか…?アイドルへの憧れを描く『トラペジウム』が与える尊さと気づき

コラム

人はどうして”推し”に人生を捧ぐのか…?アイドルへの憧れを描く『トラペジウム』が与える尊さと気づき

ゆうにとって、東西南北のメンバーは推しだった

終盤、東西南北の一人である華鳥蘭子(声:上田麗奈)は、ゆうに向けて「見つけてくれてありがとう」と言う。セレブリティな家庭環境とちょっと変わった性格ゆえ友だちがいなかった蘭子にとって、目的はなんであれ自分を欲してくれたゆうは初めての友だちだった。そのお礼の言葉ではあるのだけど、これは同時に推される側の台詞でもあると思った。

見つけてくれてありがとう。いままでステージ上でこの台詞を言ったアイドルは数多くいるだろうし、口にしなくても同じ気持ちを秘めている推したちは数多いる。何者でもない自分を見つけてくれた人がいて、初めて人は推しになれる。

なんとなく楽しそうと思い、アイドルになった華鳥蘭子
なんとなく楽しそうと思い、アイドルになった華鳥蘭子[c]2024「トラペジウム」製作委員会

そこで気づいた。東ゆうにとって、東西南北として活動した3人のメンバーは、友だちでも仲間でも自分がアイドルになるための道具でもない。推しだったのだ。この子ならアイドルになれる。ゆうは、原石がダイヤに変わる可能性に懸けた。『トラペジウム』とは、推しを見つけたゆうと、はからずも推しになった3人の女の子の物語だ。結果的に、望んだ形にはならなかったかもしれない。でも、オタクの思い通りにならないのが推し。自分の期待や妄想をなすりつけたところで、推しがその通りに動いてくれることなんてほとんどない。そういう意味では、必然の結末だと言えるだろう。

ゆうたち4人のキラキラなだけじゃない青春模様
ゆうたち4人のキラキラなだけじゃない青春模様[c]2024「トラペジウム」製作委員会

推しと駆け抜けた日々や熱狂は永遠

でもだからといって、何も残らなかったかというと、決してそんなことはない。推しが表舞台から去ったり、自分自身の心が離れたり、推し活もどこかで終焉を迎える。部屋に溢れる大量のグッズ。代わりに失われた貯金と時間。自分はなんて無駄なことに労力を費やしたのだろうと途方に暮れる人もいるかもしれない。でも違う。推しと過ごした時間は、形あるものではない何かを残してくれる。ゆうが、3人の仲間と過ごした日々もまた同じだ。


そして、そんな意味があったのかなかったのかわからない時間も、遠巻きには輝いて見える。なぜ推しと駆け抜けた日々は光るのか。それもまた思い込みなんて言ったらドライすぎると思われるかもしれないけど、そんなことはない。夢を手繰り寄せ、幸せを掴むのは、いつだって思い込みが強い人だ。たとえば、東ゆうのように。

結末がダメになったとしても、一緒に過ごした時間や経験が無駄になるわけではない
結末がダメになったとしても、一緒に過ごした時間や経験が無駄になるわけではない[c]2024「トラペジウム」製作委員会

推し活の熱狂はこれからも続くだろう。こんなに誰もが推したり推されたりしたいのは、そこに世間の定義とは違う、自分だけの、自分のための幸せがあるから。アイドルが光って見えるのは、世間の声に媚びることも従うこともせず、ただ自分たちだけの、自分たちのための幸せを追いかける推しとオタクの狂気が、幸せが何かわからない大衆を強烈に揺さぶるからだと、『トラペジウム』を観て思った。

文/横川良明


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●横川良明(よこがわ・よしあき)プロフィール
1983年生まれ。大阪府出身。テレビ・映画・演劇などのエンタメ分野を中心にインタビュー、コラムを手がける。主な著書に「自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?」(講談社)、「人類にとって『推し』とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた」(サンマーク出版)、「役者たちの現在地」(KADOKAWA)など。
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