閉塞感と理不尽に胸が焼けつく『若き見知らぬ者たち』内山拓也監督×磯村勇斗が対談。「映画の余白を生み出せる磯村さんとなら、一緒に心中できる」
「磯村さんの身体表現のすべてが、これ以外はあり得ないと思うくらいすばらしかったです」(内山)
――内山監督は先ほど「磯村さんの想像力に託そうと思った」と言われましたが、磯村さんの想像力によってより豊かになったと思われるシーンやカットはありますか?
内山「そう言われてパッと浮かぶのは、カラオケバーの店先で彩人が弟の壮平と会話をするシーンです。家族や兄弟の物語でもあるのに、2人がこの作品でちゃんと対峙するのはあそこくらい。それだけに重要なシーンだったんです。しかも彩人がそこで残す言葉は、家族で連綿と続いている繋がりが感じられるような、父親が息子たちに言い続けていた『この世のあらゆる暴力から自分の範囲を守るんだよ』というもの。あらゆる意志や感情を感じる強いものでもあるので、脚本を書いている時から、撮影現場でも編集作業でもカットする可能性も視野に入れていたものでした。でも、あのシーンでそのセリフを口にした磯村さんの声色や目線、感情の置き方など身体表現のすべてが、これ以外はあり得ないと思うくらいすばらしいものでした。あれは、誰にでもできる表現ではないですよ。前作の『佐々木、イン、マイマイン』もそうですけど、ありがたいことに、日常的に『内山監督の作品はリアリティがありますね』って言っていただくことが多いんです。でも、登場人物が声に出すのは、言ってしまえばすべてセリフですよね。現場を見ながら考えたものや口伝えしたものもありますが、それはアドリブみたいなものとは違って。彩人の言葉を単なるセリフにしなかったのは、磯村さんがいまおっしゃった、彩人への真摯なアプローチがあったからだと思います」
――内山監督は『ヴァニタス』を上映した時に、観客に届いたと同時に届かない感情があることも知ったそうですが、主人公の途中での交代劇という設定のほかにも、演出や撮影で観客に届けるための工夫をしたところはありますか?
内山「いちばん違うのは、俳優と芝居で対峙する形で準備をするのをやめたことですね。『佐々木、イン、マイマイン』では、撮影の半年以上前からリハーサルやホン(脚本)読みを重ねて、自分の視界から見える奥の奥を見ようとしたのですが、自分の視界には視野外や背後があることを知りました。同時に、俳優の感性や感情を消耗させたくないという想いもあったので、今回は事前にリハーサルやホン読みといった形式的なものは一切やらなくて。現場でもテストはせず、最低限の共通認識だけでいきなり本番に入ることもありました。演出面ではそこが明確に違っていたかもしれません」
磯村「でも、その撮り方が非常に刺激的でおもしろかったんですよ。現場に入った時の役者陣の心情を大事にしながら、メンタル面でも寄り添ってくださっていたので、そういったトライは僕らもウェルカムでした」
内山「現場では『彩人が見ているものを想像できる表現はなんなのか?』『そのためのカメラのポジションはどこなのか?』といったことを考えながら、磯村さんにも『目に見えるものを大切にして』『いま見えるものを目に焼きつけて。視覚から心に結びつく感情がきっとあるはずだから』と話しましたし、本当に1回1回の、いましかない、磯村さんの表情に宿る彩人の精神を撮ることに集中していたような気がします」
「ここまで細かいところまで準備して、調べて現場を動かしている監督に初めて出会いました」(磯村)
――劇中では現在と過去をワンカットのように繋ぐシークエンスが何度か出てきて、すばらしい効果を上げていましたが、あの見せ方も最初からねらっていたんですか?
内山「登場人物の動線を大切にしていて、脚本もそこを意識しながら書いています。自分のなかには明確な動線があるので、ロケハンでもそこから外れる場所は徹底的に排除しますし、イメージに合った場所を探し続けます。ただ、それは『現在と過去をワンカットで見せる』という手法優先で取り入れたものではないんです。本作では彩人や彼に付随する人たちの記憶みたいなものが作品の中心にあるので、記憶の曖昧さや、たゆたうわからなさや掴めなさみたいなものを映像で表現するにはどうしたらいいのか?といったことをロケーションを見ながら判断して、突き詰めていきました。その結果、あのシームレスの表現に行き着きました」
――磯村さんは、今回は初めてご一緒された内山監督の作家性や魅力をどのように感じられました?
磯村「内山監督は嘘がないですね。すべての言葉、シーンの組み立て方や伝えたい物語が構成も含めて丁寧に考えられていて無理がない。ここまで細かいところまで準備して、調べて現場を動かしている監督はちょっといないんじゃないか?って思ったし、少なくとも僕は初めて出会いました。現場でなにか気になることがあって聞いても、僕たちが望む以上の言葉で教えてくれるから、信頼も置ける。そこに揺るぎない作家性を感じるから、今回の『若き見知らぬ者たち』のような鮮烈な映画を作ることができるんだなと思ったし、内山監督に役者やスタッフが着いていきたくなる気持ちもわかりましたね」
――前作に続いて、本作でも作品全体に現代の社会を支配している閉塞感を強く感じました。実際の社会でも彩人と同じように苦悩したり、喘いだりしている人たちはいっぱいいると思いますが、お2人は閉塞感を感じることはありますか?
磯村「自分は動き方や生き方がオープンで、閉塞感をぶち破りながら生きている人ですけど、ニュースなどを見ても、息がしづらそうな人たちが多い社会になってしまったなという印象を受けます。このままじゃいけない。なにかを変えなきゃマズい!とも思っています。でも、なにをどうしたらいいのかわからないというのが僕のいまの現状ですね」
内山「いまの閉塞感はこの世界が時間をかけて形成してしまったものだと思います。社会は疲弊し、経済格差や寄る辺なき心の貧困を打破するための政策や施策を掲げることが精一杯になっていて、そこで終わってしまっている。その先が見えない。その機能不全が新たな貧困を生んでいるようにも思います。映画では、現代の社会がどのように存在し、動いているかという視点を確保しようとしました。それは、嘘の現実をフィクションで描くのではなく、別の現実を映画で立ち上げなければいけないと思いました」
取材・文/イソガイマサト