藩を守るため、新政府軍との戦いに送りだされる罪人たち
そんな史実に着想を得た笠原が創作したプロットは、捕らえられていた10人の罪人と旧幕府派の藩士、鷲尾兵士郎(仲野)ほか数名による決死隊を結成し、官軍が通る街道沿いにある砦を護る任務に就かせ、これを妨害するというもの。戦いの最前線に送り込まれるという破れかぶれの設定がぶっ飛んでいておもしろい。しかも、集められた輩は女房を手籠めにした新発田藩士を殺害した政(山田)、イカサマ博徒で武士から金を巻き上げお縄になった赤丹(尾上右近)、自分を捨てた男の家に火をつけたなつ(鞘師里保)、おろしや(ロシア)への密航で捕まったおろしや(岡山天音)、姦通で収監された坊主の引導(千原せいじ)など、(当時の法律で)極刑必死のいずれ劣らぬ極悪人たち。
そんな彼らが、任務を全うして城下を護れば無罪放免にしてくれるという約束だけを信じ、それぞれの想いを胸に、憎き藩のために決死の戦いに身を投じていく。そこでは新発田藩のドス黒い思惑も見え隠れするが、新発田藩家老、溝口内匠(阿部サダヲ)、新政府軍参謀の山縣狂介(玉木宏)などの実在した歴史上の人物を登場させることで、新発田藩の裏切りに独自の視点を加えているのだから、これほどドラマチックなことはない。
そこには、「『勝てば官軍、負ければ賊軍』という言葉まである、勝ったほうがすべて正しく、勝敗によって善悪が決まるのが当たり前の時代に“果たして、勝つことだけが正義なのか?”」という疑問を投げかけた笠原の痛烈なメッセージも込められている。
『十一人の賊軍』を通して深まる新発田藩が取った選択の重さ
実際、多くの人々が家を失い、田畑を荒らされた越後の長岡藩と違い、新発田の地は藩の機転で戦火を逃れた。だが、その行為は裏切りには違いないので、新潟県民のなかにはその後も悪感情が残り続けたと言われている。どこか排他的で、ほかの市区町村に対して非協力的だとする声もあるようだが、では、どうすればよかったのか?
『十一人の賊軍』におけるそれぞれの正義のために戦う11人を目の当たりにし、そのことに思いを馳せてみてはどうだろう?崩壊する物見櫓、落下する吊橋…。壮大なセットを破壊しながら撮影した過酷な現場で、俳優陣がCGやワイヤーに頼らない己の肉体を駆使して体現した魂のバトルが、一つの真実を教えてくれるはずだ。
文/イソガイマサト