「僕の人生は“ジャパニーズ・ライオン”から始まっています」(右近)
――今年は「ライオン・キング」の公開30周年ですが、お二人の「ライオン・キング」の思い出を聞かせてください。
右近「僕は32歳でほぼ同世代というか、僕らの世代を代表するディズニー作品かなと。また、歌舞伎には獅子という役柄があるんですが、僕が歌舞伎の道を歩むきっかけになったのは、3歳の時に『春興鏡獅子』という演目の映像を観た時なんです。奇跡的に現存していたひいおじいちゃん(六代目・尾上菊五郎)が踊っている姿を観て、自分も歌舞伎をやりたいと思いました。ほかにも歌舞伎の演目には、親の獅子が子どもの獅子を育てる『連獅子』という、まさに『ライオン・キング』みたいな話もあったりして。“ジャパニーズ・ライオン”から僕の人生始まっているんですよね。」
――松田さんはいかがですか?
松田「僕自身もディズニー作品のなかで『ライオン・キング』が特に好きです。学校の行事などでも、『ライオン・キング』の曲を歌ったり踊ったりしてきたので、僕もサバンナ出身のライオンだ!と、どこかで思ってガオガオしてきました」
右近「それ、絶対そう思ってる?」
松田「6、7割は思っています(笑)」
――初めて収録でアフレコをやってみていかがでしたか?
右近「気持ちは作っていくにしても、シーンの長さに合わせて何秒からしゃべりだして、何秒でしゃべり終わるのかということは、事前に準備できませんでした。備えようもないことを一生懸命備えていた感じでしたね」
松田「いままでやってきたお芝居とはまた別の感覚でしたね。しかも字幕版で声を当てられている方がいるから、そこにもちゃんと寄せつつ、タカの気持ちものせないといけない。激ムズというかパニックでしたが、自分ができることはすべてやろうと、全力で“タカりました”」
右近「タカった!?(笑)」
松田「はい!タカりました(笑)」
「いろいろと経験して自分の幅を広げ、大きな存在になりたい」(松田)
――お二人もムファサとタカのような深い絆を感じることはありますか?
右近「歌舞伎の世界とすごく共通点がある気はしました。僕の場合、小さいころからみんなと一緒にいて、家族のような感覚で生きてきましたから。ただ、ムファサみたいに自分で頑張って自分の道を歩むという意味での距離感は違うなとも思いました。例えば、舞台や映像のお仕事での共演者さんとは、『はじめまして』でお互いを知るところからのスタートなので、“ゼロからイチになる”の関係値ですが、歌舞伎の場合は、もともとの信頼関係でお芝居を作ることが当たり前の世界なので。
また、20代でお互いに切磋琢磨しあい、自分の道を探りながらやってきて、いま30代となり、自分が主役を張る大きな舞台で仲間が一緒に出てくれたり、その逆もあったりするなかで、刺激しあう間柄からお互いに感謝し合う間柄に変わってきたなとは感じます。“自分の城”を築かなければと思っていた20代ですが、30代になってそれは“みんなの城”だったと気づけたのは、ずっと一緒にやってきた関係性があったからです。だからお互い真剣にやってきてよかったと思っています」
松田「めちゃくちゃムファサじゃないですか!」
右近「それが歌舞伎界です。血じゃなくてそれぞれの想いや、同じ時代に誰とどんな歴史を作っていくかということが繰り返され、伝統になっていくのかなと」
――そこにプレッシャーはありますか?
右近「自分が好きでやっていることだから、プレッシャーはあまりないです。でも、責任は生じ始めていて、先輩にプレッシャーをかけるべきだとか、後輩から見られているというプレッシャーはあります」
――松田さんはいかがですか?
松田「僕も、楽しい!好き!という想いがいつも根本にあるので、そこをどんどん追求していきたいと思うだけです。先輩方のお話を聞くのも好きだし、いろいろと経験して自分の幅を広げ、僕もいつかけんけんみたいに、大きな存在になりたいです」
――では、松田さんにとってTravis Japanのメンバーはどういう存在ですか?
松田「メンバーとは絆を築くという関係性ではなく、いるのが当たり前の家族のような存在です。1人でお仕事に行っても、帰ってこられる環境があるというか。でも、よくよく考えればそれは当たり前のことではなくて、みんなとの絆があってこそいろいろなことを経験できているので、戦友のようなものです」