『お引越し』『夏の庭 The Friends』4Kリマスター版が公開中!没後23年を経ていまなぜ相米慎二監督作は世界で評価されるのか
通常の長回しではなく、キャスト&スタッフ陣が一丸となった“懸命なる念写”
相米レトロスペクティブは若い世代も足を運び、数年ごとに盛り上がりを見せているが、2021年のメモリアルイヤーには日本各地で「没後20年 作家主義 相米慎二」と題した特集上映が行われた。そして2023年。ニューヨーク市にて「Rites of Passage:The Films of Shinji Somai」(「相米慎二の世界:不朽の青春」)が開かれた。北米での特集上映は初の試みで、主催は日米交流団体ジャパン・ソサエティーの映画部である。プログラムは『セーラー服と機関銃』(81)、『ションベン・ライダー』(83)、『魚影の群れ』(83)、『ラブホテル』(85)、『台風クラブ』(85)、『光る女』(87)、『東京上空いらっしゃいませ』(90)と長編13本のうち約半数を網羅したのだが、注目すべきはサブタイトル「不朽の青春」――。原語の「Rites of Passage」を和訳すれば“通過儀礼”となり、少年少女がさまざまな試練を乗り越え、大人へと一歩踏み出していくこと。いや、大人であってもイニシエーション的な時間を生きる相米作品の肝が、もはや明確に共有されているのであった。
さて、同レトロスペクティブに長文コメントを寄せ、英訳、抜粋をされて使われたのは現代日本映画の旗手、濱口竜介監督だ。そのコメントは以下の通り。
「No Japanese filmmaker makes a film without being conscious of Shinji Somai’s existence.(相米慎二の存在を意識せずに映画を撮る日本の映画作家はいない)」「For anyone who wants to see a movie that has the power to change and sustain your life, I urge you to see Shinji Somai’s films.(人生を変え、持続させる力を持った映画を観たい人には、ぜひ相米監督の作品を観てほしい)」
ここで省略された箇所から、重要な一文を意訳してみる。こんな感じになるか。
「今回のラインナップを観れば相米監督のスタイルの特徴は長回しであることにすぐに気づくだろう。しかし、オーソン・ウェルズやテオ・アンゲロプロスのそれと比べてはいけない。かような視点からは当時の日本映画が追いやられていた貧しさを感じるだけだ。相米作品のカメラは、人工的なスタジオで作られた“物語”を投げ捨てるかのように、冒険の中にしか存在しない時間と空間へと飛び出し、演技以上の何か、その時空間に置かれた身体、つまりは被写体の“生の本質”を執拗に追求したのである。驚異的な長回しとはそうした執念、情熱の副産物に違いない」
通常の長回しに非ず、なのだ! 相米作品のロングテイクを、意志強固な監督の指揮のもと、キャスト&スタッフ陣が一丸となった“懸命なる念写”と呼んでみたい。例えば『魚影の群れ』。いわゆるアイドル映画、子どもの映画から満を持して大人のドラマへ挑んだ相米監督と、稀代の名優だった緒形拳との一度限りのマッチアップ。役柄はマグロ漁に体を張る一徹な男で、本州最北端の地、下北半島の漁港、大間でのオールロケを敢行し、小型船上における一本釣りを凝視したワンシーンワンカット撮影は荒海と巨大マグロとの闘いの末、本当に釣れるまで続けられた。
あるいは登場人物総出演、主人公レンコの未来像を点描してゆく『お引越し』のエンドロール。朝から準備をして夕方にやっと本番というのは相米組の定番だが、このシーンもそうなった。演じる田畑さんは一気呵成に多彩なシチュエーションに立ち会い、樹の陰で2度、早着替えをする(髪型も変える)。最後にすれ違う、自転車に乗った後ろ姿の豆腐屋は彼女のお父様で、現場見学へと赴いたらエキストラとして出ることに。延々とリハーサルにも付き合ったのだが、レンコが終幕で到達する表情には虚実入り混じった“生の本質”が宿っていて、映画はやはりそれをとてつもないチームワークで念写しているのだ。
ちなみに、画面奥から手前に向かってくる『お引越し』のエンドロールの構図は、相米の監督デビュー作『翔んだカップル』(80)と対応しており、筆者は“第二のデビュー作”だと思う次第。“死と再生”のテーマをファンタジーに落とし込んだ前作『東京上空いらっしゃいませ』(90)を撮ったあと、もしかしたら「映画を辞めてしまう」可能性もあったのだが、そこからの復活という意味でも。次に着手した『夏の庭 The Friends』は“死”への疑問、子どもたちの素朴な好奇心と、独居老人の戦争の記憶をクロスさせ、そして、いつも以上に“生きることの綱渡り”を濃厚に綴って円熟味を感じさせた。