なぜ『ぼくのエリ 200歳の少女』に人々は魅了されたのか?スウェーデンの鬼才作家が描き続けた狂気と愛に迫る
北欧映画がおもしろいと言われるようになってから久しいが、そこに名を連ねる新たな注目作が『アンデッド/愛しき者の不在』(公開中)だ。ノルウェーのアカデミー賞と位置付けられるアマンダ賞で6部門にノミネートされ、4部門を受賞した。1989年生まれの女性監督テア・ヴィスタンダルは本作の世界的な成功により、一躍注目の存在となった。
本作が注目されている理由はもう一つある。それはスウェーデンの人気作家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの小説を原作としていること。リンドクヴィスト作品の映画化には、『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)とそのハリウッドリメイク『モールス』(10)、『ボーダー 二つの世界』(18)があるが、いずれも観客の心を激しくざわつかせる衝撃作だった。となれば、『アンデッド』も同様であることは容易に想像がつくだろう。というわけで、ここではリンドクヴィストの過去の映画化作品『ぼくのエリ』、『ボーダー』を振り返りながら、注目の新作のテイストを検証してみたい。
人間ではない“なにか”が社会に存在する様を描写
まず、誰の目にも明らかなのは、どの作品も人間ではないが人間のような“なにか”が登場すること。『ぼくのエリ』では吸血鬼が、美少女の容姿を借りて登場した。『ボーダー』のネアンデルタール人のような頭蓋を持つ主人公の正体も、実は人間ではない。そして『アンデッド』で登場するのはタイトルの通りアンデッド、ざっくり言えばゾンビ!前2作の人間ならざる者が人間社会にひっそり溶け込んでいたように、本作のアンデッドも生前の家族のもとへ静かに戻ってくるのだ。
孤独や喪失感を抱えた登場人物たち
2つ目に挙げたいのは、リンドクヴィストが紡ぐ世界観の根底を支える、とてつもない孤独感。『ぼくのエリ』の主人公の少年はいじめられっ子だし、『ボーダー』の主人公はその容姿ゆえに疎外され、自身が普通ではないことを理解している。
『アンデッド』は3組の家族の物語だが、いずれも愛する者に先立たれており、その喪失感を埋められずにいる。この孤独は埋めることができるのだろうか?できるかもしれないが、それは簡単なことではない。なにしろ、先述したように“人間ならざる者”が人間のルールに縛られることなく絡んでくるのだから。