なぜ『ぼくのエリ 200歳の少女』に人々は魅了されたのか?スウェーデンの鬼才作家が描き続けた狂気と愛に迫る

コラム

なぜ『ぼくのエリ 200歳の少女』に人々は魅了されたのか?スウェーデンの鬼才作家が描き続けた狂気と愛に迫る

激しく揺さぶられる倫理観

となれば、必然的にリンドクヴィストの作品は倫理という問題を突いてくる。『ぼくのエリ』に登場するバンパイアの少女は人間の血がないと生きていけないので、殺人の宿命を避けられないが、そのためには人間の協力者が要る。彼女を好きになった主人公の少年は、その役割を担うのだろうか?また、『ボーダー』の主人公は長い間一人の人間として生きてきたので倫理感はあるが、自分が人間ではないと知った時、そのアイデンティティが激しく揺らいでいく。しかも初めて心を許した同族の相手は幼児ポルノ制作に携わる、人間視点では極悪人なのだからなおさら悩ましい。

男の正体を知って女性の心は激しく動揺する(『ボーダー 二つの世界』)
男の正体を知って女性の心は激しく動揺する(『ボーダー 二つの世界』)[c]Everett Collection/AFLO

そして『アンデッド』では、死の状態から蘇った普通ではない家族を、家族として迎え入れられるのか?という問題が生じる。先にも述べたように、ここでのアンデッドたちはゾンビに近く、言葉を発しないし、動きも鈍いし、顔に生気はまったくない。それでも愛する者の死を受け入れられない人々は、アンデッドの存在に依存してしまうのだ。

幼い孫を亡くした老人は悲しみのあまり墓からその遺体を掘り起こす(『アンデッド/愛しき者の不在』)
幼い孫を亡くした老人は悲しみのあまり墓からその遺体を掘り起こす(『アンデッド/愛しき者の不在』)[c] 2024 Einar Film, Film i Väst, Zentropa Sweden, Filmiki Athens, E.R.T. S.A.

寒々しくも美しい北欧ならではの景色

また、北欧映画に独特の空気感を宿っているのは、「ミレニアム」シリーズを例に出すまでもない。なにしろ日本の最北端よりもさらに上の緯度に存在する地。その寒々しさは映像の隅々に行き渡るが、同時にそれは映像美としても機能する。『ぼくのエリ』の雪景色は郊外の街の寂寞とした空気感もあって体感的にも寒々しいが、それゆえに印象度も強い。逆に『ボーダー』の冷気は気候ではなく、クリーチャーの異様さが北欧の豊かな自然と相まって鮮烈に印象を残す。

異質な男を見て本能的になにかを感じた女性は彼に惹かれていく(『ボーダー 二つの世界』)
異質な男を見て本能的になにかを感じた女性は彼に惹かれていく(『ボーダー 二つの世界』)[c]Everett Collection/AFLO

これらに比べると、『アンデッド』はどこにでもあるような住宅地を切り取っているが、俯瞰からのショットや陰影の巧みさ、淡色を主体にした映像によって寒々しさを構築。これもまた、堂々たる映像美だ。

生きている人間とは言えない孫の姿を見て老人は葛藤する(『アンデッド/愛しき者の不在』)
生きている人間とは言えない孫の姿を見て老人は葛藤する(『アンデッド/愛しき者の不在』)[c]AgneteBrun


アンデッド/愛しき者の不在』はゾンビ映画の亜流ともいえるだろう。しかし、バイオレントな描写はほぼない。先立つのは愛する者と死別した人間の、身を切るようなせつない思いだ。リンドクヴィスト作品に登場する“人間ならざる者”は、現実社会には存在し得ないキャラクターだが、ひょっとしたらいるかもしれないと思わせるのが、映画のマジック。そのような幻惑のなかで、人間は現実を見据え続けることができるのだろうか?本作にはその答がある。必見!

文/相馬学

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