オダギリ ジョー監督、“挑戦しすぎた”長編監督作の舞台裏「撮影は苦しみだった」
“俳優オダギリジョー”ではなく、“監督オダギリジョー”が放つ、初の長編監督作『ある船頭の話』(9月13日公開)。脚本はオダギリ監督が10年前に書き溜めたオリジナルストーリーで、監督自身が「この作品は、あまりにも挑戦しすぎた」と語るとおり、スタッフやキャストの座組から映像のディテールまでとことんこだわり、心血を注いだ作品となった。オダギリ監督を直撃し、過酷を極めたという本作の撮影秘話を聞いた。
本作の舞台は、明治後期から大正を思わせる時代の山間にある村。主人公トイチ(柄本明)は、村と町をつなぐ河の渡しをしながら、1人で慎ましやかに暮らしていた。ある日、河で傷ついた少女(川島鈴遥)を助けたトイチは、彼女の存在に安らぎを見出すが、そのことで彼の人生が大きく狂いだす。撮影監督にクリストファー・ドイル、衣装デザインにワダエミ、音楽にピアニストのティグラン・ハマシアンと、世界を股にかけ活躍するメンバーが参加した。
これまで何本かの短編を監督してきたオダギリ監督だが、満を持して長編のメガホンをとったのは、クリストファー・ドイル共同監督作『宵闇真珠』(17)に主演した際、「ジョーが監督するなら、俺がカメラをやる」と提案を受けたからだとか。クリストファー・ドイルといえば、『恋する惑星』(94)などのウォン・カーウァイ監督作での流麗なカメラワークの印象が強いが、今回はオダギリ監督が「古き良き日本映画のように、ほとんどカメラ位置が動かない画を撮りたい」とリクエストした。実際に本作は、カメラをどっしりと構えた重厚な映像が印象深い。
「海外の撮影監督は、カット割りからカメラポジションまで、監督が口を出せない部分もあると聞いていましたが、今回クリスは僕が提案したものを受け入れて動いてくれました。もちろん、クリスからもアイデアを出してくれたし、彼の意見で撮ったアングルや、僕が知らないうちに彼がカメラを回して撮ってくれていた景色なども編集時に入れたりしました。本作はクリスじゃないと撮れない映画だったと確信しています」。
「柄本明さんに『芝居はモニターで見るものじゃない』と怒られました」
主演には、名優、柄本明をキャスティング。寡黙な船頭のトイチは台詞は少ない役だが、人生の年輪を重ねた柄本のいぶし銀な存在感が際立っている。
オダギリ監督は、柄本から現場で怒りを買ったことがあると明かした。「小屋の中のシーンで、僕がモニターでチェックしていたら、『芝居は、その場で起きているものだから、モニターで見るものじゃない』とすごく怒られました。今回、撮影がクリスで、急にカメラを振ることもあれば、予定してなかったことをするタイプの人だったので、申し訳ないとは思いながらも、そうしていたんです。役者って、モニターの前にずっといる監督って「芝居よりも画を重視している」ように見えて、あまり良い気はしないものなので、その気持ちは痛いほどわかっていました。だから言い訳もせず、ただ謝って、それ以降はできるだけ、現場で見守るようにしました」。
オダギリ監督は柄本との関係性について「緊張感が保てない関係性にしたくなかった」と言う。「今回、主演を柄本さんにお願いしたのは、現場でずっと緊張感を保ち、お互いに甘えられないようにしたかったからです。柄本さんに怒られた時、自分にも言い分はあったけど、言い訳で仲を取り持つようなことはしたくなかったし、最後までその緊張感を持続できたことは、本当に良かったと思っています」。
また、ヒロインに抜擢された新進女優、川島鈴遥も出色の熱演で、柄本と堂々渡り合った。オダギリ監督は、自分も俳優だからこそ、川島の立場に立って、細やかな演出を施したそうだ。
「演技レッスンでは台詞の練習は一切やらずに、感性や感覚をどう伸ばしたらいいのかを丁寧に教え、細かいところまで鍛えたつもりでいます。監督として『もう少し怒ってください』とか『もっと笑ってください』とか、表面的な指示を出すのは簡単だし、それは俳優からすると、すごくモチベーションが下がる演出なんです。そうではなくて、なにをどうすれば笑えるのかをちゃんと考えてもらい、自然に笑えるように導いていきました」。
実際、川島は、水のように穏やかな表情のシーンから、火のように感情を爆発させる見せ場まで、大きな振り幅の演技にトライした。まさに川島にとって“女優開眼”の作品となったのではないか。
「僕にとっても勝負作でしたが、川島さんもかなり大きな勝負を懸けてくれたことは間違いないと思います。僕も誠意を持って、慎重に進めました。また、メイク部や衣装部の方々が、川島さんをちゃんとフォローしてくれたことも大きかったと思います。結果的に彼女はすごく良い答えを出してくれたし、今後のさらなる成長が楽しみな女優さんですね」。
「脚本を書き終えた時が一番幸せ。撮影は苦しみでしかなかった」
俳優として多忙を極めるオダギリだが、脚本の執筆時は、深夜か早朝には、パソコンの前に座ってなにかを書くことを自分に課していたそうだ。「その時、勝手にアイデアが滲みでてくれるのが理想的で、無意識のうちに手が動いたものが蓄積され、今回の台本に仕上がったのかなと思います。ただ、僕は細かく描写を書きすぎるタイプなので、ある映画監督に読んでもらった時、『これは描きすぎだ』とも言われました」。
脚本には、オダギリ監督が思い描く理想的な画が細部に至るまで記されているそうだ。「僕は脚本を書き終えた時が一番幸せで、映画が完成することより、喜びを感じるかもしれません。正直に言うと撮影が一番苦しいです。もちろん編集も苦しいけど、撮り終えたらもうそれをどうにか成立させるしかないですからね」。
映画監督によっては、シーンが現場で臨機応変に変わっていくことを、映画作りの醍醐味として挙げる人もいるが、オダギリ監督はそうではないらしい。「そう思えるのは、経験豊富な映画監督を職業的に選んでいる人たちでしょう。僕はそうじゃないから、撮影は苦しみでしかないです。僕はこの1本で勝負しなければいけないし、皆さんが10本作る時間で僕は1本しか作れない。その大きな1本を背負うことになるので、ストレスとかプレッシャーが大きいです。また、自分で書いた脚本だから、『なぜこれを画にできないんだ』と、自分で自分の首を絞める状況になってしまいます」。
オダギリ監督は、撮影開始直後、いろいろな重圧が原因で、口内炎が20個でき、5kgも痩せたそうだが、そこでどう自分を奮い立たせていったのか?「やっぱりスタッフやキャストの方々が、背中を押してくれて、僕の“映画を作る”という夢を応援してくださったからです。本当に苦しくて、投げだしたいと思ったけど、僕がやりたいことのために、皆さんが自分の人生の時間を使ってくれるなんて、こんなにありがたいことはないですから。そこに少しでも恩返しをしなければという想いが大きかったです」。
ちなみに、自分が書いた脚本を誰か別の監督に託すという手段は考えなかったのか?「いまの日本映画界の状況を考えると、この台本を作品にすることはかなり難しいし、他の監督はこの作品のリスクを考えて手を上げる人はいないと思います。そういう意味でも、この作品を作れるのは自分しかいないという気持ちで臨みました」。
本作を撮り終えた手応えについてはこう語った。「1つずつ妥協せず、自分のやりたいことを見失わず、やれた結果が本作だという満足感みたいなものがあります。自分では、1つの答えを出したつもりではいますが、それがこれからどう伝わっていくのか、どう受け取られるのかはわからないですが、僕はそこも楽しみにしています」。
取材・文/山崎 伸子