『記憶にございません!』の三谷幸喜が「僕は映画の世界の住人ではない」と語る真意とは?
三谷幸喜脚本、監督による記憶を失った総理大臣が主人公のポリティカルコメディ『記憶にございません!』(9月13日より公開中)は、このたった1行の設定を聞いただけで、ププッと笑える。映画、舞台、ドラマなどの脚本家、劇作家、演出家としてマルチに活躍する三谷監督は、映画監督としても言わずと知れたヒットメーカーだが、ご本人は「これまで映画を8本撮ってわかったことは、僕は映画の世界の住人ではないこと」と謙虚に言い切る。果たしてその心の内とは?
中井貴一演じる主人公、黒田啓介は、国民から嫌われ、史上最低の支持率2.3%を叩きだした総理大臣だ。ある日、演説中に一般市民が投げた石が頭に当たった彼は、一切の記憶を失ってしまう。国政の混乱を避けるため、啓介は有能な秘書官、井坂(ディーン・フジオカ)たちの力を借りて、なんとか日々の公務をこなしていくが、内閣官房長官、鶴丸大悟(草刈正雄)は、黒田の行動に不信感を抱いていく。
「中井さんに『とにかく妥協しないでほしい』と言われました」
本作は、三谷監督が『THE 有頂天ホテル』(06)のころから温めていた企画だったが、中井貴一を主演に迎えたことでようやく始動した。「もともと政界ものをやりたかったけど、そのときの政権を風刺するつもりは一切なくて、突然、総理大臣になってしまった男の悲喜劇をやってみたいと思っていました。それで、主人公は最初に総理大臣だったけど、1回記憶を失い、目が覚めた時に、自分が総理大臣であることに驚く、という設定を思いついたのが十数年前です。たまたま今回、中井貴一さんとコメディをやろうという話になったので、その時、頭の引きだしのなかに入れておいたプロットを出してきました」。
いろいろなプロジェクトを日々併走させている三谷監督は、常に数多くの企画案を頭のなかにストックしているらしい。「以前、アイディア帳をつけていたこともあったけど、書くということで安心してしまって、忘れちゃうんですよね、だからメモ自体をなくすと、えらいことになる。だからいまは書かないで覚えておきます。そうすると、頭のなかで自然淘汰され、本当にやりたいものだけが残っていく。どこかひっかかるものがある企画は、心のなかで熟成されていきます。ストックは『そろそろ底をつくぞ』という時もあるけど、すぐに新しく入荷する感じで、いまのところは在庫が途切れていないです」。
『記憶にございません!』も、そのストックから生み出された1本だ。「この企画なら、中井さんの誠実な部分やコミカルな部分が出るし、中井さんは腹黒い芝居もおもしろいので、これでいこう!と思いました」。
中井とは今年上演されたミュージカル「日本の歴史」でも組んだばかりだが、同学年ということで、お互いに生きてきた時代や見てきた作品などの共通言語があり、まさに打てば響くという間柄だった。「中井さんに言われたのが『とにかく妥協しないでほしい。監督が納得するまでやってほしい』ということでした。中井さんは主演として引っ張っていってくださるけど、全体を俯瞰で見ることもできる方で、非常に心強かったです。実際、映画の現場に関わっている回数が違いますから」。
しかし、中井に感謝しつつも「実は、僕は妥協がそんなに悪いことだとは思ってないんです」と打ち明ける三谷監督。「お芝居は役者のメンタル状態との関係もあるし、いろいろな俳優さんがいます。例えば、俳優さんが上手くできない時、僕はできるまで延々と同じことをやらせるというのは好きじゃない。どんどん精神的に追い詰めてしまうし、周囲の空気も悪くなる。そういう場合は、ある程度のところでOKを出して、後は編集やアフレコでなんとかすることも実際にはあります。そういう意味では僕は監督に向いてないのかもしれない。粘らないから。ただ技術的な面では、例えば、長回しの時のカメラ移動などの時は、やればやるほどスムーズになっていくから、そこは粘ります」。
「僕の仕事は、役者の皆が輝く本を書くこと」
三谷監督は「僕は俳優さんが大好きです」と、常に俳優至上主義であることを公言してきた。
「僕は脚本家ではあるけど、自分で舞台の演出をするし、俳優さんと接することが多いので、より俳優に寄り添ったポジションにいる監督だと思っています。それは劇団をやっていた時、12人の劇団員がいて、毎回彼らにあて書きをしていたから。年に2本やる舞台をマスコミの方を含め、いろいろな人に観ていただくことは、彼らにとってもチャンスだと思っていました。最初からあて書きをするのは脚本家として王道ではないのかもしれないけど、僕の仕事は、役者が輝く本を書くことだと思っているので、いまもその流れが続いている感じです」。
実際に、無名だった舞台俳優たちが、三谷作品を経てスポットを浴びることは多々あった。またその一方で、すでに人気実力を伴う俳優の知られざる魅力も引きだしてきた。例えば、三谷作品の常連俳優である佐藤浩市は、『ザ・マジックアワー』(08)で伝説の殺し屋をおちゃめに演じ、コメディの才能を世に知らしめた。佐藤は今回、まさかの女装にもトライしている。
「『ザ・マジックアワー』の時も、佐藤さんの知られざるおもしろい部分を最大限に活かした本を書こうと思いました。今回の中井さんもそうですが、この人にはこんな面があるんだと気づいた時点で、『いつかこの人にこういう役をやってもらおう』と思って、そこもストックしていくんです。草刈正雄さんもそうで、舞台でご一緒した時、『この人はおもしろいし、きちんと計算して観客を笑わせることのできる方だ』と思ったので、今回、草刈さんのそういうお芝居が一番活きる本にしようと思いました」。
もちろん、三谷監督からのオファーに対して、俳優陣は快諾し、監督の期待以上のものを用意してくるし、監督も俳優を演出する際に、もっとキャラクターを盛っていくケースも多い。「せっかく僕の作品に参加してくださるので、こちらもなにかお土産を持って帰ってほしいという気持ちになり、必死に考えてやっていきます」。
「僕は外部の人間として、ときどき映画の現場に来て、皆さんに教えを乞うている感じ」
今回、映画を観て一瞬、本人だと認識できなかったのが、ニュースキャスター役で出演したフリーアナウンサーの有働由美子だ。茶髪のウィッグを被り、長いつけまつ毛をしたその姿に度肝を抜かれた。
「映画やドラマに出てくるニュースキャスター役を俳優さんが演じているのを見ると、いつも違和感を覚えていた。演技が目立ってしまうというか。今回は絶対に本物のニュースキャスターの方に演じてほしいと思っていました。有働さんは大河ドラマ『真田丸』でナレーションをしてくださったのですが、たまたまNHKを退社されるタイミングだったのでお願いしたら、OKをいただきました。でも、フリーになって実際にニュースキャスターをやる可能性があると思ったので、敢えて実際の有働さんとはかけ離れたキャラクターにしようと思いました」。
三谷監督が有働にあてがきしたのは“アメリカの深夜のニュースショーに登場する無駄に刺激的で化粧が濃いキャスター”というイメージだった。
「有働さんが『なんでもやります』とおっしゃってくれたので、衣装さんやヘアメイクさんに相談して、外見がああなりました。でも、すごく似合っていたし、今後、彼女はもう少しああいう部分を押しだしていけばいいのにと思ったりして。実際に有働さんに見えないことが正解な気もしました」。
とにかく、三谷映画は適材適所のキャスティングで、俳優陣たちのアンサンブル演技が隅々まで行き届いている。まさに映画監督として堂に入っている印象を受けるが、監督の姿勢はあくまで謙虚だ。
「僕は2年に1本、もしくは3年に1本、映画を撮らせていただいていますが、メインは舞台で、歌舞伎、ミュージカルを手掛けたりもしていますし、たまにテレビドラマも書きます。でも、僕以外のスタッフの方々は、僕が映画の現場にいない時もずっと映画を作っていらっしゃる方たちばかり。だから僕は、ときどき映画の現場に来て、皆さんに教えを乞うイメージです。映画をどうやって作るのかを、毎回学ばせてもらっているというスタンスです」。
それは、本作を撮り終えた時点で再確認したそうだ。「ずっと一緒に組んできた撮影監督の山本英夫さんからも『三谷さんは、“映画監督”と呼ばれている人たちが撮らないものを撮ればいいし、ことさら映画監督として上手くなる必要もない。いまの三谷さんが撮りたいものを撮り続ければいいんじゃないですか』と言われました。だから、今後もそうしていくと思います」。
最後に、一番聞きたかった質問を投げてみた。それは、映画作りにおいて一番幸せと思う瞬間についてだ。「企画を練っている時はすごく幸せで、そのあと、キャスティングで自分が思ったとおりの人が決まった時もうれしくて楽しいです。そこから脚本を書く作業はけっこう辛くて。1人でゼロから生み出す仕事なので、時間はかかるし、自分が思ったようなものが書けないと悔しさも伴い、全然楽しくないです」。
そして、一番楽しいのは「クランクインした現場」だそうで、それは映画監督として俳優を演出している時間に他ならない。「ストレスはまったくないと言っていいくらい楽しいです。僕はみんなで集まって、仲間たちで1つの目標に向かって進んでいく光景を見るのがすごく好き。だから、すばらしい俳優さんが集まり、そこに自分が入ってものを作れることが幸せです。でも、完成して、こうやって宣伝をするようになると、また辛い日々が始まります。これをしなくいいのなら、どれだけうれしいことか。僕は本来、人前に出てなにかをするようなタイプじゃないので、非常に辛い(苦笑)。」。
最後は、宣伝マンに目配せしながら、オチを作って笑わせてくれた三谷監督。どうもすみません、そして取材させていただき、ありがとうございます!改めて三谷監督のエンタテイナーぶりを実感したインタビューだった。
取材・文/山崎 伸子