『G-レコ』富野由悠季監督にインタビュー!「自分は作家だと言い切れない。仕事師だなという感じがしています」【後編】
「湯浅政明監督のことが気になってネットで仕事ぶりを見ていた」
――少し先になると思いますが、全5部作の完成を楽しみにしています。
富野監督「僕もこういう作り方しかできないわけだからで、本当は新海誠作品に似たようなものとか、京都アニメーションより『もうちょっといけるぞ』というものを作ることができればいいけど、そういうセンスはないから、やるっきゃない」
――同じフィールドへ行く必要はないと思うのですが。
富野監督「本当は行きたいですよ。そりゃそうです。他人が作っているなら『あの程度のものは作ってみせる』と言うのがプロでしょ。仕事師はそうあるべきです」
――富野監督は『ガンダム』以前に多種多様な作品で絵コンテを多く手掛けていますので、そう思われるのでは?
富野監督「そうかもしれません。そういう意味では、それこそ宮崎駿アニメに敵対視をしていたりもしていたんだけど、結局マネ事もできなかった。そういうキャリアが自分の中に厳然としてあるわけだから、やっぱり持っているものでしか勝負ができません。だから、覚悟しないといけないんだと思うけれど…。ただ、僕は仕事師だと言いました。請負仕事としてやってみせるんですから。京都アニメーションみたいなものは、例えば『50億出すからやってよ』と言われたら、それはやってみせたいよね。50億といったけど、30億でもいい(笑)。それならできるのかな?」
――お金が集まるとして、どのくらいで構想はできるものですか?
富野監督「資金が決まっているということはスポンサーが決まっているということですから、1年あれば作ってみせるといううぬぼれはあります。それが仕事師なわけだし。歳は言い訳にしたくない。だけど、自分の持ち物を変えるというのは、どこまでできるか。やはりこれは、やらせてもらわない限りわからない。そのために、20億とか30億をスってまでやるかという話になった時に、その荷重(プレッシャー)には耐えられると思うんです。だけど、作れるのかな…。このところ視界に入った、湯浅(政明)監督のことが気になってネットで仕事ぶりを見ていたんだけど、見事だよね。でも、僕にはこれはできない。ああいう人魚を動かせるかというと『この人魚嫌い』と言ってしまう(笑)。こういう切り口のこういう話というのが、リーチとして遠すぎて、僕には届かないでしょう。それは宮崎アニメを意識しても『ここまではいかないね』って。僕にはブタを出しているヒマはないもの(笑)」
――ご自身の経験などから得られたフィールドを、そこまで広く取れない?
富野監督「悔しいけど、取れないね。そこが作り手としての、なんだかんだ言って一つのものしか作れなかった自分なんでしょう。良いにつけ悪いにつけ、僕の場合はレッテルを貼られている通りに、富野ワールドになっちゃう。やや幅の狭い作り手だよね。やっぱり作家だと言い切れない。仕事師だなという感じがしています」
「間違いないなという感触を得ました」
――改めて、劇場版第1部の作業を終えたいまのお気持ちを教えてください。
富野監督「『G-レコ』を作ったから言えることは、『ONE PIECE』的なものでも、京都アニメーション的なものでも、新海アニメでもない。ああいうものだけがアニメだと思っている人たちに『ちょっと違うテイストもあるんじゃないかな』『キミたちにもわかってもらえるかもしれないから観て』と言える作品になったと感じています。半分くらいは、うぬぼれです。けれども、この言葉はこの2か月くらい考えて、順々にお話させてもらっているので、間違いないなという感触を得ました。いまのYouTubeやTikTok、ああいうものしか知らない、動画がああいうものだと思っている子どもたちに対して『動画、手描きでもコレよ』と、違う凡例を出せる。それこそガンダム戦記ものの焼き直しとは違うものだから『これは観てみないと』『損はさせないぞ』というふうに感じています」
取材・文/小林治