【レビュー】別作品と呼べるほど生まれ変わった『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』で、すずが遂げた“脱皮”
2016年に公開され、日本ばかりでなく世界中の人々に愛され、「キネマ旬報」恒例の年間ベスト・テンではアニメーションとしては異例の第1位に輝くなど、その年の映画賞も総なめした『この世界の片隅に』(16)。こうの史代の同名漫画を、片渕須直監督がアニメ化したこの作品は、第二次世界大戦を背景に、まだ少女の面影が残る主人公すずが、嫁いだ先で、終戦を迎えるまでを、慈しむようにつづった。
戦時下の庶民の暮らしを見つめ、過酷な状況にも訪れる日常の幸せ、しかし、それを否応なく押しつぶす戦争の脅威を、あくまでも普通の人間の視点を通して浮き彫りにする。絵を描くのが大好きで、物語作りも得意な、ちょっと夢見がちなところもあるヒロインすずの心象は、のんの卓越したボイスキャストによって生き生きと浮かび上がる。一方、時に簡素に、時に濃密に描写される映像は、アニメならではの抽象的なビジュアルも挿入されることで、観る者の深層にダイレクトに触れてくる。その鮮やかな成果は、すでに“名作”の名にふさわしい。
そんな『この世界の片隅に』に、約40分の新映像がプラスされ、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(公開中)として生まれ変わった。これはいわゆるロングバージョンやディレクターズカット版と呼ばれるものとは、異なる。ある意味、別作品と呼んでもいいほどだ。
新映像から見えてくる、すずの新たな一面とは?
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』にプラスされているのは、すずが交流を持つ娼婦リンや、夫・周作らのエピソード。そのことによって物語世界が拡張するばかりでなく、すずの印象が大きく変わった。脱皮したと言ってもいい。オリジナル版では“幼い主婦”に見えていた彼女が、実はしっかりとした“大人の女性”であったことを、私たちは知る。前作がすずの愛らしい面をフィーチャーしていたとすれば、本作は人と人との関係性を吟味し受け止めるすずの豊かな感性の奥底をじっと見つめている。のんの声の演技はさらに深化しており、主人公が抱える気持ちのタフネスをはっとするほどの力強さで表現している。
あらすじが大きく変化したわけではない。だが、感触は明らかに異なる。タイトルに明示されている“世界”のありようが、野太く強靭になった。鉛筆と毛筆ほどの開きがある。どちらがいい、ではなく、一つの出発点から、ここまで様相の異なる“双子”が出現したことに驚かされる。
“内面”よりも“外部”にフォーカスすることで強調されたのは…
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のすずは、主人公というより、“世界”を構成する一要素であり、その隣には登場人物たちが横並びで立ち尽くしている印象を受ける。当然のことながら、すずは一人で生きているわけではない。前作がすずの“内面世界”を中核にしていたとすれば、本作はすずの“外部の世界”をメインに据えている。
その“世界”が叩き壊される。喪失のインパクトの質が違っているのだ。
誤解を恐れずに言えば“戦争映画”の側面が強くなったかもしれない。しかし、この作品が向かっていたのはそもそもファンタジーなどではなかった。
前作のファンも、今回初めて出逢う人も、強い覚悟で臨むべき映画だ。だが、その覚悟に“応える”だけの内実が詰まっている。3年の歳月をかけて熟成された、もう一つの『この世界の片隅に』。白ワインから赤ワインへ。例えば、そんな気持ちで味わってみるとよいかもしれない。最新の“名作”を、じっくり堪能してほしい。
文/相田冬二