「完成さえすれば絶対に成功する自信があった」岩井澤健治監督が語る『音楽』制作の舞台裏
一本のアニメーション映画の“勢い”が止まらない。タイトルは『音楽』。1月11日より、東京と名古屋で限定的に3館のみで公開され、現在まで観客動員1万人を突破!さらに2月からは全国各地でも上映されていくことが決まっている。
原作は「楽器を触ったこともない地方都市の不良学生たちが思いつきでバンドを組む」ーー初期衝動あふれる大橋裕之の“ロック奇譚”漫画。監督の岩井澤健治は昨年、世界4大アニメーション映画祭のひとつ、カナダの首都が開催地のオタワ国際アニメーションフェスティバルに本作を出品、(実は未完成ながら)第43回を数えるこの映画祭の長編コンペ部門にて見事グランプリを獲得した。彼のモットーは、「“前例がない”という言葉が嫌い」である。
「今のご時世、前例のないことにはなかなか挑戦できないじゃないですか。個人制作での長編アニメーション映画もそうで、だからこそチャレンジしたかった。極論を言えば“やったもん勝ち”だと思うんですよ。ただし、完成に至るまではえらく大変ではあったんですけれども」
途方もなく手間のかかった71分の画期的な手描き作品。すでに各所で報じられている通り、作画枚数は4万枚超で、制作期間も7年以上。ひとりでコツコツと準備を進め、キャラクターデザインや作画に関しては岩井澤監督を中心にメインスタッフ2、3人でほぼ9割をやり遂げた。
「あとの1割は、長い制作期間でしたからその都度助けてくれた様々なスタッフの力を借りて。時間と労力はもう、とてつもなく掛かりました。でも個人的には、勝算はあったんです。まず原作自体が面白い。そして、すごい生意気な言い方ですけど、“この作品は完成さえすれば絶対に成功するんだ”って。確証などないのになぜかそんな自信があり、ただただずーっと黙々と描いていましたね。もし自分の信じている表現が受け入れてもらえなかったら、もはやこの国で映画を作ることはできない……と、切羽詰った心持ちで作画に向かう毎日で、無謀な勝算は逆に言えば、そう思い続けていなければ精神力が持たなかったのかも(笑)」
さて、不良高校生たちが組んだ3ピースバンド“古武術”は、ツインベースにリズムを刻むだけのドラムという変則的な編成だ。
「原作では“古武術”の音楽は『ボボボボボ』と擬音で表わされているのですが、僕は70年代のジャーマン・ロックやプログレ(プログレッシブ・ロック)が好きだったので、そのあたりのイメージを音楽クリエイターの方(伴瀬朝彦)に伝えました。特にジャーマン・ロックではCANという知る人ぞ知るバンドの楽曲を参照してもらいましたね」
手法的には実写で撮影した素材をトレースし、1カット1カット、絵におこしてゆく「ロトスコープ」を採用。クライマックスの野外フェスシーンでは実際にステージを組み、ミュージシャンや観客を動員してライブを敢行しており、劇場でそこの会場に自分が立ち会っているような体験ができる。
「音もその場で録音したものを使用していて、浴びるようなライブ体験は目指すところでした。イメージは1969年の伝説のフェス“ウッドストック”で、あの時はカメラマンも一緒にステージに上がっていたからすごい間近で撮っている映像があるんです。今はステージの外から何十台ものカメラで追うスタイルが主流ですが、当時は思いっきりミュージシャンの邪魔をしながら撮っている(笑)。あれをやりたいなあと思って」
臨場感に満ちた劇中の演奏シーンも素晴らしいが、坂本慎太郎や岡村靖幸、平岩紙など、声のキャストがまた豪華!
「7年間の中で、原作者の大橋さんの交友関係が広がったおかげです。その意味でも7年超というのは必要な時間だったんですね」
現在39歳の岩井澤監督、キャリアのスタートはアニメ畑ではなく、数多の娯楽映画やカルト作を残した世界的な鬼才・石井輝男監督に師事したこと。最晩年の『地獄』(99)、『盲獣vs一寸法師』(01年製作、04年一般公開)の撮影現場に録音や美術で参加しており、また「続石井輝男映画魂」(ワイズ出版)では病床の最期を看取った感動的な“闘病日記”を綴っている。
「もともとは実写映画を好んで観たり、インディーズで撮ったりしていたんです。その前を辿れば、漫画家を志していた時期もあったので、それらが融合されてアニメーション映画に行き着いたんですかねえ。石井監督は撮影所システムの全盛時に活躍された方ですが、僕がお会いした頃はおひとりで“石井プロダクション”を立ち上げていて、自主制作でそれはそれは自由に映画をつくられていました。そういう意味では、石井監督の姿勢を知らず知らずのうちに植え付けられてしまったのかもしれません!」
取材・文/轟夕起夫【DVD&動画配信でーた】