「原発是非論の映画を作る気はなかった」【『Fukushima 50』若松節朗 ×「いちえふ」竜田一人 対談】
「私もエンタテインメントで描く意味は大いにあると思っています」(若松監督)
――東日本大震災から10年目に入りましたが、どうしても年々風化し、報道も減っていきます。そのなかで映画や漫画の形で表現する意義について、お二人はどう思われていますか?
竜田「多くの人に届けるために、とても意義があると思っています。ただ、エンタテインメントとして出すからにはおもしろくしたいと思っています。でなければ読んでもらえないですから」
若松「私もエンタテインメントで描く意味は大いにあると思っています。必死であの事故を止めようとしてくれた人々がいたということを通して、原発にもう一度興味を持ってほしかったんです。原発事故の記憶に向き合うということです。映画を通じて語り合えると思いました」
竜田「僕は抑制が効いている点がすばらしいと思いました。是非論になってしまいがちな題材だけに、世間に対してはっきりと『俺はこうだ』と言ってしまうと、半分の方は引いてしまいますから。そこは僕も漫画を描く時に、気をつけた点です。賛成と反対を声高に言ってしまうと、意見が違う方は読んでくれなくなりますし、石を投げられてしまうこともありますから」
若松「公開してからたくさんのお客さんから賛否をいただいております。それぞれの想いで観てくれることが嬉しいです。僕たちが表現したかったのは、是非論ではなかったですから」
竜田「いいと思います。僕は、意見を主張するための道具としてエンタメを使っちゃいけないと思うんです」
若松「映画を通して、“Fukushima 50”の人々や原発について知ってもらうことが一番大事ですね。そこに関しては、僕らの映画も竜田さんの漫画も同じだと感じます。廃炉作業はこれからもずっと続くわけですから、映画を観てから竜田さんの漫画を読んでもらうと、より原発を理解できるのではないかと思います」
<後編に続く>
取材・文/山崎 伸子