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「尾道三部作」を特集上映!「大林宣彦監督追悼 第4回尾道映画祭2021」が27日に開幕

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「尾道三部作」を特集上映!「大林宣彦監督追悼 第4回尾道映画祭2021」が27日に開幕

<特別寄稿「大林宣彦監督と尾道」>

●安藤紘平(映画作家、早稲田大学名誉教授)
2018年8月、山田洋次監督と犬童さんと僕は、広島空港から車で大林監督の撮影現場へと向かっていた。物凄く暑い日だった。一か月前の西日本大豪雨の爪痕が道路を寸断し、普段の倍の時間がかかった。
現場は、大林家の旧家がある神辺町の大手造り酒屋の酒造所跡だった。東宝の大スタジオに匹敵する広さである。中では、グリーンバックで飛ぶ裸のターザン、実家から持ち込んだチューニングが外れたピアノを弾く大林監督自身、なんとも不思議な現場である。山田監督がそっと僕に尋ねる。「安藤さん、これはどういう映画かね?」まさにおもちゃ箱をひっくり返したような、出来上がるまで誰にもわからない大林ワールド全開の風景であった。
前作『花筐』が出来上がった時には、もう、この作品の構想が大林さんにはあった。「安藤さん、次は尾道で撮りたいと思うんだ」。悪戯っ子のような笑みを浮かべて嬉しそうに語る大林さんからに僕は狂喜した。初期の自主映画には、尾道への愛が満ち満ちていた。尾道三部作や新三部作を撮られてから、大林さんはぷっつりと尾道を撮らなくなった。それが僕には残念でならなかった。プロデューサーの恭子さんは、監督の身体を心配して、一度は東宝スタジオでと考えたようである。しかし、やはり監督の想いを汲んで尾道での撮影に踏み切った。英断である。『海辺の映画館―キネマの玉手箱』というこの映画は、まさに大林さんの映画への想い、尾道の記憶と共に、映画の持つ力を僕らに与えてくれる不思議な玉手箱であった。


●犬童 一心(映画監督)   
「山田洋次監督と、いざ尾道へ」
 2018年の夏、大林監督が「海辺の映画館」の撮影を始めることとなって、尾道に戻られた。山田洋次監督が陣中見舞に行きましょうと言い出した。私も一緒に行こうと思った。病をおして挑戦する大林監督にできることといったらそれぐらいしかなかった。大林監督と、山田洋次監督と私は世田谷成城学園駅のご近所さんで、時々食事をしながら映画の話をしたりする機会を持っていた。映画の学びが全く違う二人だが、80歳を過ぎて同じ仕事をしているご近所さんとしての安心感もあったと思うし、日本映画を支えてきた仲間としてお互いを認め合っていたと思う。山田監督が尾道の現場に到着した時、大林監督は本当に嬉しそうだった。ただ、ちょうど撮影しているのが、厚木拓郎さん扮する青年がヒョウタンツギ的逸脱でターザンをやっているシーンだった。グリーンバックで、ヒョウ柄のパンツ一丁で綱にぶら下がり「あーあーあー」とひたすら叫んでいる。わざわざ尾道まで来てこれかよ、しかも、グリーンバック。などと表立って言うわけにもいかない。それが逸脱したシーンとはわからず真面目な顔でモニターを見つめる山田監督の横で、大林監督は少年時代からの得意技、モノマネで「あーあーあー」と口に手を当て楽しそうにしている。ここだけの話だが、その二人の並びはちょっと面白かった。本当に暑い日で、蒸し風呂のようで、でも、今思うと、とても幸福な時間だった。
 
  
●塚本晋也(映画監督、俳優)
監督の『野のなななのか』と僕の『野火』を、監督の故郷にあるシネマ尾道で上映し、対談させていただく、といういま思い出してもドキドキする機会に恵まれました。2015年、夏のこと。それが僕にとっての大林監督との思い出の最高点です。映画のこと、戦争のこと、たくさんのたいせつなお話をうかがい、そのあとは皆でお食事まで!3年後の夏、やはり『野火』の上映時、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の尾道での撮影現場を見させていただきました。大林監督はだいぶ小さくなられていたけれど、とても生き生きと撮影を楽しんでおられました。今は自由に大空を飛び回っておられると思いますが、すぐ間近で僕たちを見守ってくださっているようにも感じます。あの優しい笑顔をいっぱいに溢れさせて。
 
文/久保田 和馬

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