「役の人生に責任を持ちたい」井之脇海が見つめる、役者としての“欲深さ”
「撮影当時は学生でしたが、そのタイミングで撮影できて良かったです」
特筆すべき点は、華やかなオーラを封印し、地味ないじめられっ子の玻璃役に徹した石井の女優魂だ。舞台挨拶で石井は「この作品が終わったあとは、抜け殻のような状態になりました」と言うほど、全身全霊で臨んだことを明かしたが、井之脇自身も彼女の演技に衝撃を受けたようだ。
「撮影は約3年前で、当時の石井さんは、キラキラしたアーティストというイメージが強かったので、初めて現場で顔を合わせた時、その変貌ぶりにおどろきました。彼女はまさに玻璃として現場にいて、捨て身だったというか、石井さんがこの役に懸けた熱い想いが伝わってきて、僕自身もさらに気を引き締めないといけないなと思わされました。石井さんのほうが年下ですが、役に没入するスイッチの入れ方など、本当に多くのことを学ばせていただきました」。
深く惹かれ合い、お互いにかけがえのない存在となっていく清澄と玻璃。清澄は、どんなことがあっても、命懸けで玻璃を守ろうという決意を固めるが、田丸は危険に身を投じようとする親友の想いを察し「まだ、こっちへ戻れる位置にいる」と、必死で止めようとする。
「台本や原作を読んだ時、あのシーンで田丸と清澄の友情の形がはっきり表れると思ったので、それまでの演技は、そこから逆算していった感じです。上っ面の関係では、あの台詞に説得力を持たせることができないと思ったので、2人の友情をしっかりと構築したうえで、シーンに挑みたいと思いました。実際にあのシーンでは、台詞を発したあとで一層自分の心が動かされるという、すごく不思議な体験ができました」。
現在25歳の井之脇だが、「撮影当時はまだ20代前半でかつ学生でしたが、そのタイミングで本作を撮影できたことは、作品にとっても良かったのかなと思います」と述懐。
「10代でしか得られないような感覚や空気感を、ギリギリ忘れてない年齢だったので。もちろん、いま高校生役をオファーされても、全力を尽くしますが、そうなるとアプローチの仕方が変わると思います」。
クライマックスで怒涛の展開を迎えながらも、最終的には清澄と玻璃の純粋な愛の力に心が洗われる本作だが、井之脇自身も非常に琴線を揺さぶられたと言う。
「2人のやりとりを見ていて、僕自身はどこか忘れてしまったような感情を具現化された気がして、ジェラシーのようなものを感じました。2人が織りなす愛の形を見て、僕にもこのくらい強く想える相手がいたらいいのにと、うらやまく感じたんです。人生において、楽な道を選ぶのは簡単ですが、2人は愛のために辛い道を進んでいく。その儚さや切なさの先に、ある種の幸福が見えた気がして。それはきっと、映画を観る多くの方にも届くのではないかなと思いました」。