『アイダよ、何処へ?』で知る、戦後最悪の集団虐殺事件を引き起こしたボスニア・ヘルツェゴヴィナの傷跡

コラム

『アイダよ、何処へ?』で知る、戦後最悪の集団虐殺事件を引き起こしたボスニア・ヘルツェゴヴィナの傷跡

世界が注目するヤスミラ・ジュバニッチって誰?

ボスニアはかつてユーゴスラビアのなかで最も規模の大きな映画産業の拠点だったが、ボスニア紛争によりあらゆるものが崩壊。いまでは他国との連携が制限され、映画は年に1本しか製作されない。本作も、国の映画基金からは製作予算の5%しか得られなかった。

だが、そんな劣悪な状況下にありながらも、ベルリン国際映画祭で審査員グランプリ=銀熊賞と、国際批評家連盟賞をダブル受賞したダニス・タノビッチ監督の『サラエヴォの銃声』(16)など、国際的に高く評価されているボスニア・ヘルツェゴヴィナの映画は数多い。

サラエボ事件から100年。記念式典が行われる高級ホテルを舞台にした群像劇(『サラエヴォの銃声』)
サラエボ事件から100年。記念式典が行われる高級ホテルを舞台にした群像劇(『サラエヴォの銃声』)[c]Margo Cinema, SCCA/pro.ba 2016

そのなかでも世界からひと際注目を集めているのが、サラエボで生まれ、ボスニア紛争の最中に青春時代を過ごしたという本作のヤスミラ・ジュバニッチ監督だ。長編デビュー作『サラエボの花』では、ボスニア内戦から10数年後のサラエボを舞台に、戦争の犠牲となった女性の再生と希望を描き、第56回ベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞、エキュメニカル審査員賞、平和映画賞の3賞を受賞した。

さらに続く『サラエボ、希望の街角』(10)でも、サラエボを舞台に一組のカップルがたどる愛の行方を、紛争の傷跡と宗教問題を背景に描き、こちらもベルリン国際映画祭コンペ部門に選出されるなど、国際的な評価を確立している。


ボスニア紛争から10年あまりが経った現代のサラエボを舞台にしたヒューマンドラマ『サラエボの花』
ボスニア紛争から10年あまりが経った現代のサラエボを舞台にしたヒューマンドラマ『サラエボの花』写真:EVERETT/アフロ

だがこれらの作品の多くは、紛争後を舞台にいまの時代を生きる人々の物語だった。『アイダよ、何処へ?』がそれらの作品と大きく異なるのは、ボスニア紛争末期の悪夢のような惨劇に、真正面から向き合っているところだ。ほんの数日間のうちに8000人以上のボシュニャク人(イスラム教徒)が敵対するセルビア人勢力に殺害された「スレブレニツァの虐殺」はどのようにして起こったのか?ジュバニッチ監督はその惨劇を、残酷な戦争描写を一切入れずに描き、虐殺で夫や息子を失ったスレブレニツァの母たちに取材を重ねて得たリアルな証言を基に肉迫。女性目線で戦争を見つめた点でも希少な本作は、本年度のベルリン国際映画祭コンペティション部門の審査員賞を受賞。ジュバニッチ監督も一躍脚光を浴び、本年度のヴェネチア国際映画祭ではWoman in Cinema Awardに輝き、同映画祭オリゾンティ部門の審査員を務めるまでに躍進した。

サラエボで生まれ、母国の歴史を題材に映画を撮ってきたヤスミラ・ジュバニッチ監督
サラエボで生まれ、母国の歴史を題材に映画を撮ってきたヤスミラ・ジュバニッチ監督[c] 2020 Deblokada / coop99 filmproduktion / Digital Cube / N279 / Razor Film / Extreme Emotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

さらに、『アイダよ、何処へ?』が本年度のアカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた際には、アカデミー賞女優でUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の親善大使として人道支援に貢献しているアンジェリーナ・ジョリーや、元ファースト・レディのヒラリー・クリントンが、ジュバニッチに熱いエールを送ったことが国際的なニュースに。クリントンは「スレブレニツァの大虐殺を、家族を救うために奔走する一人の女性の目を通して描いた『アイダよ、何処へ?』は、大量虐殺がどのようにして起こるのかを冷静に見つめています」と絶賛のツイート。

元ファースト・レディのヒラリー・クリントンもジュバニッチ監督に熱いエールを送っている
元ファースト・レディのヒラリー・クリントンもジュバニッチ監督に熱いエールを送っている画像はHillary Clinton(@HillaryClinton)公式Twitterのスクリーンショット

そんな現在のヨーロッパ映画界を牽引する期待の女性監督、ヤスミラ・ジュバニッチ。『アイダよ、何処へ?』は母国のいまも拭いきれない悲劇を、長きにわたって紛争を描いてきたジュバニッチ監督の熱いメッセージと共に実感できる、今年一番観るべき衝撃作なのだ。

文/イソガイマサト


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