イザベル・ユペール×濱口竜介監督対談をロングバージョンでお届け!“演じること”と“撮ること”「私たちは映画によって動かされる」
「“アマチュア”という言葉には“エメ”すなわち“愛する”という言葉が入っている」
濱口「最初のシャブロル監督との作品は『ヴィオレット・ノジエール』でしたが、驚かされたのは劇中でユペールさんは決して多くのことをしないということです。先ほど自分の映画に対して、沈黙と言葉の間とおっしゃっていましたが、ユペールさんの中に受動と能動の間があるのではという気がしています。無表情のなかになにかを眠らせ、ある瞬間に急に感情が高まる。いつでも爆発することができるような感情を抱えたまま、表面は穏やかな状態を保っている。なにかが彼女の外で起こると、それに反応して感情をあらわにする。そのときに人物を理解することができる。そのようなことができるのはなぜなのでしょうか?」
ユぺール「それはきっと映画に対する信頼ではないでしょうか。信頼していくから受動と能動との間の二重のインターアクションを起こすことができる。私たちは映画によって動かされます。映画のカメラの前で動くのと同じように、動かされるのです。私は、映画と精神分析は同じ時期に出現したとよく言います。カメラができたのはフロイトが登場して、無意識を発見したのと同時期。見えるものと見えないもの、沈黙と言葉。そうしたものをフロイトが発見した時期です。バルザックの作品のなかで『言うことがあるのと同じくらいの量、言わないこと黙ることがある』と言っていますが、まさにその通りだと思います。
映画においてはカメラが無意識の責任を担う。こうして俳優は作られていきます。カメラはとても力があり、カメラは私たちを見ています。そして私たちの中になにがあるのか、カメラによって探られます。映画を信頼することは、自分を信頼する、自分に対して自信を持つことにもつながります。カメラがすべての感覚や感情を捉えているのですから、それ以上のことを俳優がしようとすると、それは余分なものになってしまうのです。私からも、濱口監督に質問させてください。『ハッピーアワー』の4人の女優は全員アマチュアで、演技したことないとなにかで読みましたが、それは本当でしょうか?」
濱口「はい、ほぼ本当です。プロフェッショナルとしてされたことはそれまでなかったんです」
ユぺール「それはすごいことだと思います。アマチュアの俳優があんなにすばらしいのであれば、プロの俳優はもう辞めてしまわなきゃいけないぐらいです。あの女優たちが示している一種のイノセンスは、プロの俳優たちが取り戻したいといつも夢見ているものです。それこそ『ハッピーアワー』の女優たちがすばらしい証拠です。俳優の中でここではどうすればいいのか、どのように不安を示せばいいとか、わかっていることが見えてしまってはいけない。それも信頼の問題です。“アマチュア”という言葉には“エメ”すなわち“愛する”という言葉が入っています。以前私は『愛・アマチュア』という映画に出演しましたが、アマチュアこそ、愛することができるものだと思います」
濱口「20年ぐらい映画を作っていて、だんだんカメラを信頼することを学んできました。思っているよりも多くのものを映しているものだと感じています。映したいと思っているものはなかなか映らず、逆に映らないと思っていたものが映ってしまう。特に人に向ける時がそうで、人の体は本人が思っている以上に喋っているから、どういう人なのかがとても強く表れてしまう。重要なのは映る人の体に、なにか映すべきものや価値があるかと、自分が本当に信用することだと思っています。そうした思想は、ただアマチュアだから可能だとは最近考えないようになりました。職業俳優の方のなかにも間違いなくあって、その人自身が思想や魂の表れというものを願っていると感じています」