「よかれと思ったのに。俺の人生はいつもこうだ」。
李闘士男監督と安田顕が『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(18)以来のタッグを組んだ映画『私はいったい、何と闘っているのか』(12月17日公開)の主人公、伊澤春男、45歳はこうつぶやく。
よかれと思ってやったことがまったく報われない。そんなしょんぼり体験を味わったことがある人に、『私はいったい、何と闘っているのか』をおすすめしたい。本作は、カッコいいヒーローとは真逆、笑ってしまうほど不器用な中年男性の日常の“喜怒哀楽”を描く。仕事や家族のために七転八倒し続ける春男。そんな、現実と理想はほど遠くとも、日々を地道に戦い続ける主人公の姿が、どこかでみんなの共感を呼ぶのだ。
伊澤春男のしょんぼり体験は、誰でも味わったことがあるはず
春男は典型的なマイホームパパかつ地元に愛されるスーパー“ウメヤ”の万年主任。家族の幸福のために地道にコツコツ働いていて、勤務態度はいたって真面目で、トラブルから逃げずに向き合う、頼りになる優秀な社員。上田店長には「春男はこの店の司令塔だ」と信頼されている。そんなある時、これまで地道にコツコツやってきたことが報われて、いよいよ出世の道が開かれそうになる。職場の仲間たちもみんな、盛り上がるが…。
なぜか誠実な人間は損しがちであることが世の常。現場を知らない上層部の人たちに仕事を正当に評価されない哀しみや悔しさを味わっている人も多いだろう。むしろなにもしていない人とか調子のいい人とか学歴の高いだけの人とかがいい思いをして、現場で頑張っている人は顧みられないことはありがちだ。春男はそういう多くのがっかり経験をしている働く人たちの代表選手のような存在で、だからこそ「頑張れ」と応援したくなってしまう。そんな春男を、TEAM NACSの安田顕が魅力的に演じている。
“俺たちの春男”と呼びたくなるような共感ポイント満載の春男。彼のいいところは、人はたいてい報われない状況に置かれると「どうせ」と自己肯定感が低くなってしまいがちなところ、決してそうならないところだ。彼はいついかなる場合でも自分を肯定している。というか、どんなに折れそうになっても、自分が目覚ましい活躍をしてスーパーの同僚たちや愛する妻の律子や3人の子どもたちの役に立つことを頭に浮かべて、立ち上がる。
脳内の妄想が爆走!春男のモノローグでより立体的な人物が際立つ
春男の脳内シミュレーション。それが本作の独特のおもしろさの一つで、彼はもうずーーっと頭の中でああしてこうして…と妄想モノローグをつぶやき続ける。
『私はいったい、何と闘っているのか』の原作はお笑い芸人のつぶやきシローが書いた小説で、 “つぶやき”の大家の作品らしく、春男の頭の中のつぶやきは、実に膨大な分量である。それを安田が見事に語る。あらかじめ声を録音して、撮影してからその演技に合わせてまた声を録り直したというこだわりのモノローグは聞きどころだ。
息子の亮太が参加する野球大会を盛り上げるために流しそうめんの装置を用意する春男、娘の小梅の恋人に対して威厳を出そうと必死の春男、店長になれるかもしれないという当てが外れてがっかりする春男、また、そのがっかりをみんなには悟られまいと明るく振る舞う春男…などなど、そんな時、彼は最前線で闘っている気分だ。自意識も妄想も過ぎるほどだけれど、そこがまた微笑ましい。
春男の場合、極端で過剰でおもしろ過ぎるわけだが、人間関係を円滑にするために本音を隠して、できる限り穏やかにものごとに対処しようとすることは私達の日常でも思い当たる。だから心のなかで口にできないいろんなことを考えている春男にやっぱり共感してしまう。とりわけコロナ禍で人と話す機会が減ったことによって、マスクで口を閉ざしながら心のなかでひとり考えること、あるいは、家でひとりごとを言ってしまうことが増えた昨今、ますますぐるぐる続く春男のモノローグが他人事ではなく感じる。
ある時、常に自分を鼓舞して日夜、闘い続ける春男の心がついに折れそうな出来事が起きる。スーパーで問題が勃発、春男が同僚のためを思って行動したことが裏目に出てしまう。春男、最大のピンチ。どうなる春男!?
周囲に波風を立てないように、心のなかで自己完結している春男が、唯一、愚痴や見栄など本音を出せる場が、河原にある謎の食堂、おかわり。仕事帰りにふらりと立ち寄ってカツカレーを食べながら、お店を切り盛りするおばちゃんを相手に思いを語りかける。そこもまたすごくいい場面になっている。こんなお店があったらいいなあ、このおばちゃんに聞いてもらいたいなあ、カツカレー食べたいなあと思って観ていた。食堂のシーンだけでも一見の価値あり。