“コロナの女王”岡田晴恵教授が『鹿の王』に感じたコロナ禍とのリンク…「模索する姿勢こそが、ウイルス学や感染症学の研究者の本質的なもの」
「身体を救うことは、気持ちを救うことにつながる。それは“癒し”です」
――「医術が救うのは、その者の身体ですか?魂ですか?」と尋ねたヴァンに、ホッサルが「身体を救えば、魂も救われるのでは?」と答えるシーンがあります。この2人の問答を、どのように感じられましたか?
「これは極限状態の会話ですが、まったくそのとおりだと思います。感染症に関して、“魂の救済”というのは、紀元前のヒポクラテスの時代からのテーマです。やはり病は痛みなど苦痛を伴います。身体と心はリンクしているので、病の苦痛は当然メンタルにも影響します。だから、身体を救うことは、気持ちを救うことにつながる。それは“癒し”です。病気を治して、身体が癒されると同時に、心も癒される。それは患者だけにとどまらず、病の流行後には、人や社会、みんなが癒されていくんだということを感じました」
――新型コロナウイルスのような感染症が発生した時の人間の心理状態について、先生はどのように考えていらっしゃいますか?
「ウイルスや細菌は目に見えない。だから、感染症が流行して、いつどこで自分もかかるかわからないという状況は、潜在的な不安や恐怖になります。病気が広がるのと同じように、恐怖もうつっていきます。“もしかかったらどうしよう”という恐怖や、実際に病気になった時のつらさから、“誰からうつされたのか”という恨みの感情にもつながっていく。そういう意味で、病気の問題と心の問題、両方があいまって社会に影響してしまうところが、感染症の恐ろしいところです。だからこそ、それを克服することが魂の救済であり、“癒し”なんだと思います」
「正しいフィロソフィーを持って闘うことを選択する若い人がが増えてくれると信じています」
――劇中で、復権を目指すアカファ王国がそうであったように、感染症が権力の道具として使われる可能性がある、という設定についてはどう思われましたか?
「いま、バイオテロが問題になっています。アメリカでも過去に炭疽菌テロの事件が起きています。感染症を使ったバイオテロは、“貧者の武器”と呼ばれ、現状でも核と並んだ非常に危険な問題です。アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)もそうですが、感染症研究はそもそも軍事医学で発展してきました。昔は戦争の時、戦地で弾に当たって死ぬ人よりも、戦地で感染症が広がって、亡くなってしまう人のほうが多かった。第二次世界大戦でも、戦地での劣悪な環境によるマラリアや赤痢の流行などがありました。
ただ、いま問題になっているのは、それとは別で、生物兵器としての感染症です。サイエンスの本来のフィロソフィーを真逆に使っているものです。本作にも、病を治そうとする人と、病を悪事に利用しようとする人が登場しますよね。だから結局、“人”なんです。あなたはどんなふうに生きますか?どんな価値観を持ちますか?という本質的な問いかけをしているのが、この作品です。どちらの生き方を取るかというのは、観た人が選択するわけですが、私は正しいフィロソフィーを持って闘うことを選択する若い人が増えてくれると信じています」