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ロイヤルファミリーの熾烈な教育バトルを描く、“フュージョン時代劇”韓国ドラマ「シュルプ」の新しさ

コラム

ロイヤルファミリーの熾烈な教育バトルを描く、“フュージョン時代劇”韓国ドラマ「シュルプ」の新しさ

歴史に埋もれ、忘れられてきたマイノリティーへの眼差し

心優しいケソン大君は、秘めていた姿があった
心優しいケソン大君は、秘めていた姿があった[c]tvN


シュルプ」の持つ注意深い眼差しは、厳格な価値観の中で可視化されなかった存在にも向けられている。第2話では、四男ケソン大君(ユ・ソンホ)が、宮廷の中にあるあばら屋で女性に扮装している様子をファリョンが目撃。折しも「陪童」を選ぶ試験に向け、王の妻たちが我が子の相手を蹴落とそうと血眼になっているタイミングで、彼女は深く苦悩する。奇しくも日本の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、源頼朝の次男で鎌倉幕府第3代征夷大将軍、源実朝の叶わぬ恋を暗示するシーンが大きな話題となった。彼については、その生涯や残した和歌などから、同性愛者として学術的に解釈する説があったものの、時代劇では具体的に描かれる機会がなかった。

時を同じくして、日韓の歴史ドラマが性的指向のグラデーションに注目したことは大変興味深い。時代劇にマイノリティーを登場させることは、“行き過ぎたポリティカル・コレクトネス”なのだろうか。源実朝やケソン大君のように、ありのままの自分を隠さざるを得なかった人々は、どの国にも、いつの時代にも存在していたはずだ。最近も、韓国の野党民主党の国会議員のスマホ画面に、ゲイ向け出会い系アプリの通知が出ている様子をカメラが捉えたというネット情報を、韓国保守系メディアが盛んに報道していたように、変化したとは言うものの未だに偏見は根強い。そうした現実で、不在と見なされる彼らの声をすくい取ることこそ、フィクションが果たす役割なのだ。

母親として、愛する息子の真実を受け入れたファリョン王妃
母親として、愛する息子の真実を受け入れたファリョン王妃[c]tvN

ケソン大君の秘めた思いを知ったファリョンは、「息子を一人失った」と口にしながらも、「乗り越えられずに受け入れざるを得なかったとき、あの子はどれほど怖かったことか。私は母親だから、目を背けられない」「どんな姿であれ、私の子だ」と、彼の気持ちを尊重する。この回のラストは、雨の中で自分の肩が濡れるのも構わず、我が子に傘を差し向けるファリョンとケソン大君の背中だった。地位から転がり落ちることが死を意味する時代で少数者として生きる過酷さを憂う母心の複雑さと、それでもあらゆる困難から子どもたちを守る傘=シュルプ(朝鮮の古語)であるファリョンの人間的な暖かさに胸が打たれる。

王妃と大君ではなく、息子と母として心を通わせ合った二人
王妃と大君ではなく、息子と母として心を通わせ合った二人[c]tvN

時代劇という舞台装置をプリズムにし、現代社会を照射する「シュルプ」は、学歴競争をブラック・コメディとして活写しながら、多面的な人物描写とジェンダーやマイノリティーへの行き届いた意識で厚みあるドラマを展開させている。大切な存在のために身を擲つファリョンの姿は、普遍的な愛情と幸福について、私たちに立ち止まって考える示唆を与えてくれるのではないだろうか。

文/荒井 南

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