原恵一と辻村深月が語り合う、藤子・F・不二雄から学んだ“ファンタジーと日常”「ものづくりはバトンリレー」
「力になるのは、観てくれる人の存在。そのなかに辻村さんがいたと思うと感慨深いです」(原)
――お二人には、藤子・F・不二雄先生のファンだという共通点もあります。原監督は1984年にアニメ「ドラえもん」の演出としてデビューされて、辻村さんも『映画ドラえもん のび太の月面探査記』(19)で脚本を担当されていました。そういった点でシンパシーを感じることもありますか?
辻村「『映画ドラえもん』の脚本を書く際にも、原監督の藤子作品はお手本のような存在でした。藤子先生への敬意の払い方や創作の姿勢など、本当にすごいことをされていたんだなぁ、と感じた部分が多々ありました。先ほどお話しした『エスパー魔美』もそうですが、『子どもたちの生活のなかに、たまたまドラえもんという不思議な道具を出す存在がいる』という“日常”を軸に描いていくのが藤子先生の作った世界観だということを、原監督はとても大切にされていて。2017年の東京国際映画祭で行われた『映画監督 原恵一の世界』のトークショーで、監督がそういったお話をしていたのを聞いて『原監督の作品を観てきたからこそ、私が『ドラえもん』の脚本で書けたことがたくさんあったんだ』と思いました。私にとって、子どものころに原監督の作品を観て育ち、いま大人同士になって一つの作品に関われるということは、本当に幸せなことです」
原「そんなふうに言っていただいて、とても光栄です。辻村さんがおっしゃる通り、F先生の作品の魅力は『日常ありきである』ということだと思うんです。僕はF先生の『パーマン』も大好きなんですが、ドジでなんの取り柄もない少年が突然スーパーパワーを得て、『仲間よりも自分はダメだ』と悩みながらも、なんとかスーパーパワーをいいことに使おうと奮闘していくという発想に、子どもながらにワクワクしました。
プロのアニメーションの演出家になって、『ドラえもん』でデビューできた時は本当にうれしかったですね。その後『エスパー魔美』に携わることもできた。『エスパー魔美』のアニメ化が実現するらしいという話を聞きつけた時は、上司に『僕も参加させてください』とすぐにお願いしに行ったくらいです。ただ『エスパー魔美』は始まったら、とても大変でした。僕自身初めてチーフディレクターを務めたこともあって、『これは頑張って作らないといけない』という気負いがあってものすごく張り切っていたし、誰もが強い想い入れを持ちながら挑んでいた作品だっただけに、『これではやりたいことができない』と思うようないろいろな意見をぶつけられることもありました」
――辻村さんがアニメ制作現場の裏側をつづった「ハケンアニメ!」を彷彿とさせるエピソードです。
辻村「『ハケンアニメ!』の取材でアニメ業界の方々に話を聞く機会があったのですが、『原さんに憧れてシンエイ動画に入った』とおっしゃっていた方もいますし、『原さんが最初にトライした表現があるからこそ、いまのアニメでこういうことができるようになった』といったお話もたくさん聞きました」
原「アニメ作りにはいろいろな苦労がありますが、観てくださる方が喜んでくれることがなによりもうれしいし、ものづくりに向かう原動力になります。そのなかに辻村さんがいたと思うと、とても感慨深いです」