戦国時代の素朴なギモンも解消!時代考証学会会長に聞く『レジェンド&バタフライ』歴史教室
「城は大名の私生活の場所でありながら、行政と軍事を行う場所」
Q:『レジェンド&バタフライ』で信長が暮らしていたお城は豪華で広々!どんな生活をしていたの?
A:「お城は軍事司令部ですが、戦いのない時は行政官庁になります。家臣の武士たちは城下町にいて、日々城に通って行政を担当します。城は大名の私生活の場所であると同時に行政と軍事を行う場所です。職住一致というイメージです」
Q:戦がない時はなにをしていたの?
A:「読書をしたり、武芸を嗜んだり、時は、妻や子らと遊ぶこともありました。領内で鷹狩りをしましたが、妻子を連れてピクニック…みたいなことはあまりなかった時代です。出かけるのは、先祖をお祀りしている菩提寺に行く程度。娯楽は囲碁、将棋、乗馬など室内や庭先でできること、そんな感じでしょうか」
Q:当時の戦はどんな風に戦っていたの?
A:「基本的には刀、槍、弓を使って戦っていました。馬に乗る人が一家の長で、その周りを家臣や奉公人が固めます。この騎馬の小集団が『一騎』です。最初は飛び道具の弓、次に長い槍で攻め、接近戦になれば刀を使います。1543年に種子島に鉄砲が伝わってきますが、これが普及すると“長篠の戦い”の織田軍のような鉄砲隊になっていきます」
「米を主な食料とし、麦、大麦のほか、大根やナスなどの野菜を食べていた」
Q:戦国時代にはどんなものを食べていたの?
A:「当時日本を訪れた外国人が記した記録によると、米を主な食料とし、麦、大麦のほか、大根やナスなどの野菜を食べていたようです。果物は梨やざくろ、栗。肉よりも魚を好むと記録されています。『レジェンド&バタフライ』にも出てきますが、儀式や宴でお酒を飲むことも多く、儀式儀礼のルールは細かくて厳しく、会食は重要なイベントでした。箸も広く利用され、食べ物に直接触らない清潔な民族とも記されています」
Q:劇中では信長が金平糖を食べているけど、当時のおやつとしてメジャーだったの?
A:「饅頭など、いまの和菓子につながるような甘いものは一般的に食べられていました。金平糖のなど洋菓子もありましたが、信長など限られた人以外は食べたことはないと思います。糖分は蒸した芋などから摂っていました。そもそも当時は、1日2食の時代なので、おやつという発想はなかったはずです。贅沢品ですからね」
Q:信長が金平糖を広めたっていうのは本当?
A:「この時期、金平糖が広まった事実と、新しい物好きという信長のイメージが重なって出てきた説だと思いますが、史料的には確認できません。ただ、もしも信長が食べていれば、家臣たちが真似して広がるという影響力はあったかもしれません(笑)」