”高すぎる完成度”は映画にとって弱点なのか?『そして僕は途方に暮れる』三浦大輔監督と語り合う、映画の”コツ”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「取るに足らない話だからこそ、シネスコサイズの映画としてきっちり見せきる。そのほうがおもしろいのかなって」(三浦)
宇野「三浦さんの監督作の成り立ちはいくつかに分類できて。一つは、今回の『そして僕は途方に暮れる』のようにご自身の舞台が原作となっているもの。『娼年』のように原作は別の方で、それを舞台でやった後に映画化したもの。あと、『何者』みたいに舞台を経ずに映画化したもの」
三浦「僕にないのは、映画のオリジナル作品なんです」
宇野「確かに」
三浦「それは単に、映画用にオリジナルを書けっていうオファーがないからなんです。映画で企画を通す場合、皆さん保険が欲しいんだろうなっていう。舞台で成功した作品だったら、その映画化にGOを出してくれるような現状はあると思うんですけど」
宇野「では、機会があればオリジナルで映画も撮ってみたいっていう気持ちが?」
三浦「そこが最終的にたどり着きたいところですけど、その前に映画でなにか成果を残さないとやらせてくれないだろうなって思ってますね」
宇野「三浦さんくらい充実したフィルモグラフィーがあっても、そういうものなんですね」
三浦「そういうものですね。そういう厳しい現実が。自分以外の原作もののオファーもくるんですけど、断る時もあります。そこに僕の中での勝算というか、撮る意義のようなものを見つけられないと、僕が撮る意味がないと思っていて。自分の舞台の映画化の話はありがたい話なので、大体食いつきますけど(笑)」
宇野「『そして僕は途方に暮れる』の映画化企画はどのように進んでいったんですか?」
三浦「舞台でやっていた時から、これは映像化したいと思ってたんですよ。映像向きのストーリーだなというのがあったんで。ただ、自分からはなかなか企画を立ち上げるようなことはしないんですよね。しばらくは、特に話も来ずって感じで。それが初演から3年経って、ファントム・フィルム(現ハピネット・ファントムスタジオ)の小西(啓介)さんが映画化の提案してくれて、そこから動き始めたんです。その3年間、この原作のことは寝かせてました」
宇野「映画においてはあくまでも受けの姿勢なんですね」
三浦「そうですね。機会をいただければやりたいんですけど、自分で企画を立ち上げて、というのはあまり考えたことはないですね。僕はもともと映画好きというか、いわゆる映画マニアではないので、映画に対して固執してないっていうのはあるのかもしれないです」
宇野「この連載でいろんな映画監督と話していて、多くの方が『自分は映画マニアではない』って言うんですけど、そこでの“映画マニア”の基準がマニア過ぎる傾向があって。そりゃあ、濱口竜介みたいな監督と比べたらそうだろうけど、皆さん全然たくさん映画観てるじゃないですかっていうパターンが多くて(苦笑)」
三浦「いや、それでも僕ほど映画に通じてない人はあまりいないと思いますよ。僕、ほとんど原点はテレビで、それもテレビのバラエティだったりするので」
宇野「実際にあんまり観てないんですか?」
三浦「作品撮る時に参考になりそうな作品だったり、身内が出ている作品とかは観ますけど」
宇野「そういうレベルなんですか?海外の話題作みたいなものを追ったり…」
三浦「ほぼ観ないですね。映画を観ることが習慣になってない」
宇野「へえ!本当に映画マニアじゃなかった(笑)」
三浦「というところが、実際に撮る際にネックになっているのは感じるんですよ。映画をたくさん観ている監督だと、映画の方法論が身に染み込んでいるんじゃないかなって。アングルとかカット割りとかに関しても、いろんなところから持ってこられるんだろうなって。僕は毎回勉強してますからね。参考になりそうな作品を観て、なんとかしてるっていう」
宇野「それであんなに撮れるんだったら、それは監督としてセンスがあるってことですよ」
三浦「そういえば、以前(アレハンドロ・ゴンサレス・)イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の劇場パンフレットに参加させていただいたじゃないですか」
宇野「はい。あのパンフレットは編集も手伝っていて、三浦さんに書いてもらいたくて名前を挙げさせていただきました」
三浦「あの作品もめっちゃ観て、いろいろ参考にさせてもらってます」
宇野「今回、シネマスコープの画面アスペクトを選択されていて、本当にそれが作品に活かされているじゃないですか。映画マニアじゃないのが事実だとしても、作品を映画的にする上でそういう的確なジャッジをされている」
三浦「今回の作品って、本来は映画になり得ないような些細な話だと思うんですよ。どうでもいいことの積み重ねで、確かに主人公はいろんな人や出来事から逃げ続けているわけですが、それだってよく考えたら大した意味も別になくって。言ってみれば、彼女にちゃんと謝っちゃえば終わりだったかもしれない話じゃないですか(笑)。でも、そういう話を映画的にきっちり撮ることで、そのいびつさを狙いたかったというか。あれがもっとベタな話で、主人公がだんだん改心していったりする話だったら、それを映画的にがっつり見せても仕方ないと思うんですけど、こういう取るに足らない話だからこそ、シネスコサイズの映画としてきっちり見せきるっていう。そのほうがおもしろいのかなっていうのはあったんですよね」
宇野「自分の好きなタイプの映画の一つの類型として、前半と後半で全然違う、最初に想像もしていなかったところに連れて行ってくれる映画というのがあって。そういう意味で、『そして僕は途方に暮れる』はとても映画的な題材だと思ったんですよ。中盤で舞台が東京から苫小牧に移って、風景だけじゃなく作品のルックもはっきりと変わって、その後に主人公の父親役の豊川(悦司)さんが出てきてから作品のリズムも変わってくる」
三浦「なるほど、なるほど」
宇野「東京は夜のシーンが多いじゃないですか。で、苫小牧に移ると昼のシーンが多くなる。逆に、この明暗の転換を舞台ではどう表現していたんだろうって思うぐらい映画的で」
三浦「あ、そこは逆の発想で。この作品の狙い自体がもともと“映画的なことを舞台でやる”ってものだったんですよ。ロードムービー的なストーリーを敢えて舞台でやりきるっていうところが狙いで」
宇野「映画的な物語を舞台でやろうってことだったり、映画にするには取るに足らない物語を映画でやろうってことだったり、予定調和みたいなものから外れていくのが、一貫して三浦さんのやりたいことなのかもしれないですね」
三浦「そうかもしれません」