”高すぎる完成度”は映画にとって弱点なのか?『そして僕は途方に暮れる』三浦大輔監督と語り合う、映画の”コツ”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「もしこの映画に弱点があるとしたら、完成度が高すぎるところかもしれないですね」(宇野)
宇野「ほんとに、めちゃめちゃ効いてるんですよね、豊川悦司さん演じる父親の存在が」
三浦「あの父親の存在によって物語の説得力は増すのかなと。ただ、そこまでは自分の中でスッと行ったんですが、その先の菅原の土下座のところだけは、自分の中でも計算しないで書いたところなんですよ。謝ってるんだけど情けない、みたいなところを狙ってはいたんですけど、計算しきれなかった部分で。そこを藤ヶ谷くんが見事に乗り切ってくれて、おかげでなんとかなったなと。脚本的にはちょっと隙があるところでもあったんですが、それを役者が助けてくれたシーンですね。映画って、やっぱり役者と脚本の相乗効果、助け合いみたいなところで成り立っているんだな、と改めて思い知らされました」
宇野「主人公は最後にこちらを振り返ってちょっと微笑みますが、あのあとどのように生きていくんでしょうね? そういう物語の外側のことって、作家として考えますか?脚本家によっては、物語が始まる前、この主人公で言うなら小学校時代や中学校時代のプロフィールまでがっつり作ってから書くような方もいるじゃないですか」
三浦「僕の場合、大体いつもは一応のけじめをつけて終わるんですが、この作品に関しては――多分、彼は成長はしないと思うんですけど――この先どうなっていくのか自分の中にはいまのところ答えはないですね。ただ、あの意味深なラストも含めて、観た人が続きを観たくなる映画になったかなと思っています。最後のカメラ目線に関してはいろんな答えがあると思っていて…菅原が振り返って見ているのはこの映画の観客で、それでなにを思うかっていう。舞台では、主人公がビル群を眺めているところで終わってるんですよ」
宇野「あ、やっぱり違うんですね」
三浦「はい。あのシーンは、ちゃんと映画として、この物語を”映画”というものでくるみたかったという想いがあって。自分の中ではハマったとは思うんですけど、ハマりすぎてむず痒いなっていう気持ちもあります(笑)」
宇野「なるほど。もしこの映画に弱点があるとしたら、完成度が高すぎるところかもしれないですね。実際、舞台から時間が開いたことで、削ぎ落とすべきものは削ぎ落とし、付け加えるべきものは付け加えてって」
三浦「舞台を映画化する時って、悪い意味で整理されすぎていて、余白がなくなっちゃうようなところはあるかもしれませんね。舞台の反省もあるし、特に今回は3年の時間がありましたから。というところが、一抹のつまらなさというか…」
宇野「全然つまんなくないですよ(笑)!三浦さんの映画監督としての、現時点での作家性というのはそこにあるのかもしれないですね。あと、ちょっと気になったのは、役者さんのコメントに目を通したら、どの役者さんも三浦さんの演出指導の厳しさについて触れていて」
三浦「そうなんですよ!僕もちょっとびっくりしちゃって…」
宇野「ご時勢的になかなかデリケートな話題かもしれませんが、どうなんですか?実際に厳しいんですか?こうしてお話していると、柔和な印象しかないんですけど」
三浦「いや、いつもこんな感じですよ。ヘラヘラしていて。ヘラヘラしながら何回も再テイクのお願いをするっていう(笑)。あまり自覚はないんですけど、『その感じで許されてる部分はあるよ』って言われたりもするんですけど」
宇野「なるほど。別に大きな声を出したりとかじゃなくて、ヘラヘラしながらOKをなかなか出さない。タチが悪いですね(笑)」
三浦「今回は1日ぐらいしかリハが出来なくて。リハが少ないとどうしてもそうなってしまうんですけど。でも、監督によってはリハをしない人も結構いますよね」
宇野「劇作家出身の方に優れた監督が多い理由の一つは、そこかもしれないですね。特に今回の『そして僕は途方に暮れる』は、舞台から引き続き同じ役をやっているキャストも多いわけで、いわばそれがリハ代わりにもなっている」
三浦「はい。そこは演劇の人の強みではありますね。普段から、役者の演技を積み上げていくことは必要だと思っていて。作品ってそうやって作りあげるものだっていう。ほんとに、こういうことを言うとちょっと偉そうですけど、日本映画を観ていて、メインキャストの人の演技は見事だけどサブキャストの演技が見てられないような作品とか多くて。『これ許しちゃうんだ』と思うことが結構多いですね」
宇野「めちゃくちゃわかります!全員下手とかだったらまだしも、そこにばらつきがあるとしんどいですよね。結構それ、自分の批評の際に指摘して書くことがあります」
三浦「しんどいですよね。こんな監督さんでもこれを許すんだ…っていうのがあったりして。それこそそれも映画の“コツ”かもしれなくて、そこは適当に撮っても作品全体には影響しないよっていうところかもしれないんですけど、自分はどうしても腑に落ちないんですよね。だって、ちょっとリハをしたり、現場で演技を詰めていけば直るはずのところだから」
宇野「そういう意味では、三浦さんはもうこれ以上映画の”コツ”を習得する必要なんてないんじゃないかと思いますよ」
三浦「ありがとうございます(笑)」
宇野「劇作家としての野心もまだいろいろあると思いますが、最後にあくまでも映画監督として、今後の展望を教えてください」
三浦「原作ものでもハマるものがあればやらせてもらいますけど、演劇、映画のジャンルを問わず、出来ればオリジナルもので、自分の価値観やテーマ、思っていることを乗せて伝えたいっていうのがあるので。いままでは舞台を置き換えて映画にしていましたが、まずは一度でいいから映画のオリジナルを書いて、どういう価値観をそこで作ろうとするのかっていう自分自身への興味があって。こうして映画の監督をやらせてもらえる間にそれをやりたいなって思ってますね。あとは、本数もある程度撮ってきたので、そろそろ映画界の人たちの仲間に入りたいな、もうちょっと仲良くしてもらえないかなって想いもあります(笑)。オリジナル脚本で映画を撮ったら、ちょっとは認めてくれるのかな…って思ったりもして。まだ舞台人として観られているような気もしたりするので。まあ、それはそれでいいんですが(苦笑)」
宇野「演劇ではなかなかできないことの一つとして、海外に作品を積極的にもっていったらおもしろいと思うんですけど」
三浦「でも、それは海外も同じなんじゃないかと思います。自分の作品はカチッと完成されすぎていて、エンタメ性が強すぎて、もうちょっと余白がほしいって言われるんじゃないかと」
宇野「まあ、ヨーロッパの映画祭とかはそうかもしれないですね」
三浦「僕があんまり映画賞とかに引っかからない理由もそこにあると思うんですよ」
宇野「エンターテインメント作品の中では『文芸ぶってんじゃん』って思われて、アートハウス作品の中では『エンタメすぎる』って思われるとしたら、なかなか浮かばれませんね」
三浦「それが映画の豊かさなんですかねえ(苦笑)」
取材・文/宇野維正