『ある男』石川慶監督の端正な手つきが、“日本映画的”な風土にもたらす違和感。その正体とは?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
メジャー映画会社が配給する作品とインディペンデント系作品の製作費以外の最も大きな違いは、そこで求められる「語り口」にある。監督の作家性が前面に出すぎた作風であったり、個人の視点や思想が作品全体のテーマを形作っているような作品は、インディペンデント系作品だったら許されるとしても、メジャーの配給作品では――ごく数人に限られた特権的なアニメーション作家の作品を除いて――滅多に実現することはない。
『愚行録』(17)で長編監督デビューして以来、石川慶監督の作品は今回の『ある男』を含めて4作品すべてがメジャー配給となるが、強固な作家性という点でこれまでメジャー配給作品としてはかなりギリギリのところを攻め続けてきたと言っていいだろう。見慣れた「日本映画の風景」に違和感をもたらす寒色を強調した画作り。説明台詞を極力排した引き締まった脚本。考え抜かれた構図とロジカルな編集でストーリーを語っていく演出法。作品の雰囲気を台無しにするタイアップソングの拒絶(製作委員会システムで作られるメジャー配給作品において、これはかなり強い意志を必要とするものだ)。石川慶監督は、この国の実写映画を荒廃させてきたいくつもの原因を、まるで優秀な外科医のように冷静で手捌きで慎重に除去してきた。
出自による呪縛やアイデンティティの揺らぎという硬質なテーマを持った平野啓一郎原作を映画化した最新作『ある男』で、石川慶監督はそんな自身の作風の美質やスタイルを一切妥協することなく貫きながらも、これまでで最も洗練された「語り口」を獲得している。それは単純に「メジャー作品的」という意味ではなく、現代の日本における社会問題への踏み込み方も含めて「本来、メインストリームの日本映画でもここまでできるはず」という自信の表れだろう。「観客を選ばない作品」だからといって「方法を選ばない作品」である必要はない。老若男女誰もがアクセス可能な「日本映画」の質の底上げという点において、現在最も信頼できる作り手の一人である石川慶監督に話を訊いた。
「『ポーランド語さえクリアすれば、こういう選択肢もあるのか』と試験を受けに行ったら合格して」(石川)
宇野「6年ほど前に『愚行録』を初めて試写で観て以来、ずっとインタビューをしたいと思ってました。2019年の『蜜蜂と遠雷』、2021年の『Arc アーク』も極めてユニークな作品でしたが、今回の『ある男』は間違いなく現時点での代表作と言える見事な仕上がりで」
石川「ありがとうございます」
宇野「まずはずっと気になっていた、プロフィール的なところから訊いていきたいんですけど。大学で物理学を学び、その後にポーランド国立学校で映画を学んで、当時の北野オフィスの取締役である森(昌行)さんのプロデュースで、いきなりワーナーで商業映画デビューという。その時点で、もう何か所も『?』だらけなわけですが(笑)」
石川「映画の仕事をしたいとはずっと思ってたんですよ」
宇野「でも大学での専攻は物理学だったんですよね?」
石川「家庭の事情もあって、国公立以外の大学には行けないなって。いまでは東京藝術大学に映像研究科とかもありますけど、当時はなかったので。映画の仕事には直接つながらなくても、とりあえず大学では自分の興味があるほかのことをやろうかなと。海外の映画監督の経歴を見ても、そんなに映画だけを勉強してきた人ばかりではないですから」
宇野「じゃあ、10代のころから映画を撮りたいとは思っていた?」
石川「そのころは観るほうが好きで、配給会社とかに入れればなって漠然と思っていて。でも、大学で映画を作るサークルに入って自分で撮り始めたら、おもしろくなっちゃって。これは撮るほうに行きたいな、と。あと、僕が大学を出るころって就職氷河期だったんで」
宇野「1977年生まれということは、超氷河期ですね」
石川「そう。それで、大学を出たあとは海外で映画の勉強ができたらと思ったんですけど、アメリカの学校はめちゃくちゃ学費が高いじゃないですか」
宇野「いまはさらに信じられないくらい高いですけど、当時もそうですよね」
石川「『これはないかなあ』と半ば諦めてたんですけど、ヨーロッパのほうに視線を向けてみたら、ポーランドとか旧共産圏の国だと、むしろ奨学金が出るくらいなところもあって。『ポーランド語さえクリアすれば、こういう選択肢もあるのか』と試験を受けに行ったら合格して、かれこれ5年くらいポーランドで映画の勉強をしたんですけど」
宇野「『ポーランド語さえクリアすれば』って、めちゃくちゃハードル高いと思うんですけれども(笑)」
石川「まあ、若気の至りというか。いまだったら大変なので絶対やらないですけど(笑)」
宇野「確かに、映画史的にもポーランド出身者には何人か重要な映画作家がいますけど、別にポーランド映画に憧れてというわけではなかったんですね」
石川「入学当時はそうですね。もちろん、ポーランドに行ってからいろいろ新しい発見はありましたけど、当時はどちらかと言うと旧共産圏というところに惹かれるものがあって。ポーランド以外にもキューバとかロシアとか、当時はそういうところの映画学校を中心に調べていて。ポーランドもそうですけど、旧共産圏って国策で映画をやっているので、国からの援助がすごく手厚いんですよ。ポーランドの映画学校では、学生映画なのに基本全部35ミリフィルムで撮ってたんですよね。ドキュメンタリーとかでも」
宇野「それはすごい」
石川「国からフィルムが支給されるんですよ。そういう部分もすごいなと思いましたし、それ以上に日本となるべく遠いところに行きたいという気持ちがあって。なるべく自分の知らない場所で映画を作りたいなって」