眼差しと、ため息。パク・チャヌクが『別れる決心』でたどり着いた“ニュアンス”の美学【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「映画のことは監督に訊け」では、過去13回にわたって、日本映画の最前線で充実した新作を届けてくれた監督に、その作品を生み出すにいたった背景やアイデア、自身のフィルモグラフィーにおける位置付け、現在の映画界について抱えている思いなどについて膝を突き合わせてじっくりと話を訊いてきた。
その際に心がけてきたのは、キャストも含む主要スタッフのテレビ出演や一般向けメディアの取材の合間に、楽屋や撮影スタジオの片隅でベルトコンベア式にこなされがちな――場合によっては複数のメディアの合同でおこなわれることさえある――映画メディアの取材のしきたりに逆らって、できるだけ長い時間、できるだけ落ち着いた環境でインタビューできるセッティングを用意してもらうことだった。正直言って、インタビューの中身の半分以上は、セッティング次第で決まるというのが長年の取材経験から得た実感だからだ(もちろん残りの半分はインタビュアーのスキルにかかっているわけですが)。
というわけで、これまで取材対象が「日本映画の監督」に限られてきたのは、本連載の強固なコンセプトというわけではなく、取材日に当てられた2〜3日間に十数本前後のインタビューをこなさなくてはいけないプロモーション来日中の海外の映画監督に、そのようなセッティングを用意してもらうことに現実味がなかったからだ。しかし、連載を続けていればいいこともある。今回、そのレジェンド級のキャリアにおいても極めて重要な意味を持つであろう新作『別れる決心』を携えて、海外ではクリスマス休暇にあたる年の瀬にプロモーション来日したパク・チャヌク監督に、本連載の枠組でインタビューをする機会を得た。
2013年に『イノセント・ガーデン』でハリウッド・デビューを飾り、同年には、盟友ポン・ジュノのハリウッド・デビュー作となった『スノーピアサー』をプロデューサーとして献身的にサポートしたパク・チャヌク。そこから10年の両者の世界的な活躍についてはご存じの通りだが、その歩みは、現在、優れた作品を生み出しながらも、国内の観客やマーケットしか見ていない日本の監督たちの前に開けている道でもあるはずだ。
ちょうどこの取材を行っていた時期、本連載の初回に登場してくれた三木孝浩監督の『今夜、世界からこの恋が消えても』が、韓国で若者たちの間で現象となるほどの大ヒットを記録していた。韓国映画のファンが世界中にいるように、日本映画のファンも潜在的には世界中にいるはずだ。そういう意味で、今回の「映画のことは監督に訊け」もまた、日本映画界への問題提起として受け止めてもらうことも可能だろう。
「観ている人たちに登場人物の微かな表情や眼差しの変化を十分に観察してもらえるような映画にする必要がありました」(パク・チャヌク)
――『別れる決心』、本当にすばらしい作品で、深く感銘を受けました。
「ありがとう(笑)」
――このインタビューはちょうど2022年の年末に行っているわけですが、自分が信頼を置いている欧米のいくつかのメディアやクリティックが軒並み年間ベスト作品として『別れる決心』を挙げていて。あるいは、バラク・オバマ元大統領も2022年のフェイバリットに挙げていたりと、とても大きな反響を呼んでますよね。あなたの作品は20年以上前から国際的に高く評価されてきたので、今作に寄せられた称賛を特別なこととしては受け止めていないかもしれませんが。
「いや、これだけの好リアクションは予想できませんでした。『別れる決心』はいままで私が作ってきた映画とはかなり違うところがあるので。過去の私の作品では、暴力的なシーンや性的なシーン、あるいはちょっとグロテスクなシーンがトレードマークのように受け取られてきました。そういうシーンに対して『すごく果敢な表現をする』だとか『極端な表現がある』だとか、時にはバロック的だとかオペラ的だとか、そういうことを批評家から言われてきました。でも、今回の作品はそういうものから完全に抜け出した作品になっています。そういう意味では、“パク・チャヌクの作品”を期待して観た人の中には、がっかりする人もいるんじゃないかとちょっと心配してました」
――その心配は杞憂に終わったわけですね(笑)。
「この作品を作ってとても良かったことの一つは、私のこれまでの作品からレイティング(年齢制限)が下がったことで、いままで私の作品が観られなかった若い人たちをはじめ、新しい観客に観てもらえたことですね」
――レイティングに引っかからない、つまり暴力的な表現や性的な表現を抑えるというのは、やっぱり時代の変化を監督自身が察知されたということなのでしょうか?あるいは、もっと自発的な変化なのでしょうか?
「時代の変化を感じたからそうしたのかという点では、まったくそういうことはないです。あくまでも、今回の映画は登場人物が自分の感情を抑えるしかない、抑えざるを得ないような立場にいる人たちの物語だからです。そういった人たちの感情を気づかせるためには、観ている人たちに登場人物の微かな表情や眼差しの変化を十分に観察してもらえるような映画にする必要がありました。というのも、やっぱり暴力的なシーンやセクシャルなシーンは、観客にそれだけで強い印象を残してしまうので。そのシーンが通り過ぎたあとも、そのイメージがすごく強く残ってしまうから、観客がその微妙なところをキャッチしづらいのではないかと思ったので、自発的に減らすことにしました」
――なるほど。最初に言った、本作がこの時代のとても高く評価された理由がまさにそこにあると思っていて。あなた自身もこれまで手掛けてきて、まさにいまもその最中だと聞いてますが、ここ数年、多くの優れたクリエイターがテレビシリーズに向かっていて、ストーリーテリングの最前線というのは間違いなくそこにあると思うんですね。でも、一方で2時間の映画にしかできないことっていうのも依然として大いにあると思っていて。場合によっては一度観ただけではわからないような、映像で語る“ニュアンス”みたいなものって、やっぱりスクリーンでの上映を前提としないテレビシリーズではなかなかできないし、あるいはシリーズ映画全盛の現在の多くのハリウッド映画にも欠けている。そういう“大人の映画”とでもいうべき作品を、潜在的に世界中の観客が待っていたんじゃないかなって。
「そうですね。あなたの話を聞いてると、『ああ、そうなのかもしれないな』というふうに思えてきます(笑)。いずれにせよ、私はこの作品を、スクリーンを観ている観客が、登場人物の瞳の微かな動きだけで、そこになにかすごい大きな心の変化があったんじゃないかと思うような。 あるいは、登場人物がため息をついただけで、そこからなにかこれからすごいことが起きるんじゃないかと思わせるような。そういう人間の奥底にある感情を描く映画にしたかったんです。そうするためには、これまでの自分の作品にあった暴力的なシーンや、セクシャルなシーンを減らす必要があるんじゃないかなって」
――この「映画のことは監督に訊け」という連載では、これまで日本の多くの映画監督にインタビューをしてきていて。そこでは必ずその監督が映画において最も大切にしていることはなにか――もちろん一つには絞れないと思うんですけども――を訊いてきたんですけど。監督によってそれは編集であったり、本番に入る前のリハーサルであったり、様々なわけですけど、あなたが映画作りにおいて一番大事にするポイント、あるいはほかの監督とちょっと違うかもしれないポイントがあるとしたらそれはなんでしょうか?
「おっしゃる通り、映画というのは本当にすべての過程が重要なので一つを選ぶというのはかなり難しいことですが、それでもあえて一番重要だと思うのは、やっぱり脚本でしょうね。ただ、一番楽しい段階はどこかと言われると、それは間違いなく撮影です」
――撮影中は、悩みとかよりも楽しさが勝るんですね。
「緊張はしますが、楽しい緊張ですね(笑)。脚本がどうして一番重要かというのは、あえてご説明しなくてもわかりますよね?」
――それが作品の骨格だから。
「はい。やっぱり、すべてのスタートは脚本にあるんです。そこで積み立ててきたものすべてをもとにして、映画は作られていきます。なかには撮影現場で即興的になにかを思いついて、元々計画されていた脚本とは違う方向に作品を持っていくようなタイプの監督もいるかもしれませんが、私はまったくそういうタイプではないです。少なくとも、脚本段階でまったく考えてなかったことを撮影現場思いついて『ここをこうしちゃおう』ということはまったくないですね。ただし、現場で実際に撮影をしていると本当に思いもよらない変数というものは毎日のように起きるもので、できることなら脚本通りに撮りたいんだけども、そうは撮れない要因というものは出てきます。だからこそ、撮影現場には必ず緊張して臨まなくてはいけないんです」