“スピルバーグの映画愛あふれる渾身の1本”夢を追う少年はどうやって巨匠になった?名作誕生の裏側もわかる『フェイブルマンズ』は胸熱!
巨匠、スティーヴン・スピルバーグが“自伝的”ストーリーを自ら映画化した『フェイブルマンズ』(3月3日公開)。映画を撮ることにのめり込む少年が主人公の物語で、その成長していく姿には心打たれる感動や喜び、せつなさが散りばめている。MOVIE WALKER PRESS試写会でひと足先に鑑賞した観客たちから「映画好きこそ観るべき映画」「映画を愛するすべての人へ向けたスピルバーグ監督の渾身の愛にあふれた映画」「どのような幼少期を過ごしたのか、なにが彼を天才監督に仕立てたのかが感じられる作品」といった声が続々と寄せられてきて、5星のなか4.2星と高評価も獲得した。そんな本作の魅力を映画ライターの斉藤博昭が解説。現在に至るスピルバーグ監督を形成した映画への情熱やたくさんの“出会い”をひも解いていきたい。
のちに数々の名作、大ヒット作を送りだす巨匠の原体験とは?
スティーヴン・スピルバーグと言えば、『ジョーズ』(75)や『E.T.』(82)、『ジュラシック・パーク』(93)、 『シンドラーのリスト』(93)など数えきれないほどの名作を送りだし、映画そのものを体現するような巨匠中の巨匠。その原体験をたどるわけだから、『フェイブルマンズ』にはドラマチックな瞬間があちこちに用意されている。
スピルバーグがモデルになっている主人公は、サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ ラベル)。少年時代、「暗闇が怖い」と映画館に怯えていたサミーだが、両親に連れて行かれて観た1本の映画で人生が変わってしまう。それが『地上最大のショウ』(52)だ。このあたりはスピルバーグの実体験どおり。
『地上最大のショウ』は、サーカスの一座をオールスターキャストで描き、アカデミー賞でも作品賞を受賞。2時間半にもおよぶ大スケールの作品で、その年、アメリカで最大のヒットを記録した。
サミー少年はたちまち映画の虜になってしまうが、最も脳裏に焼きついたのは、劇中で列車が事故を起こすシーンだった。1950年代の作品なのでミニチュアのセットで再現された映像だが、夢中になったサミーは、父に買ってもらったおもちゃの汽車を衝突させて遊び、そんな“破壊行為”を見かねた母のアドバイスで、衝突を8mmカメラで撮って記録することを覚える。その体験こそが「映画監督」のスタートとなったわけだ。
スピルバーグ自身、“衝突を撮ること”が大好きだったようで、その志向は1971年、映画監督としての初の長編作『激突!』で早速、全開に発揮された。タンクローリーに執拗に追われるドライバーの恐怖を描いた同作で高い評価を得たことで『ジョーズ』などにつながっていく。そう考えると、『フェイブルマンズ』で監督としての原点を再現したシーンは、実に感慨深い。
『E.T.』にもつなぐ、家族関係や両親への複雑な心情が感受性に大きく影響
『フェイブルマンズ』では主人公の家族のドラマからも、スピルバーグと映画の関係がエモーショナルにせり上がってくる。サミーの父は科学者でテレビの修理なども得意であり、母は音楽家でピアニスト。一方、スピルバーグ監督の父は電気技師でコンピュータ・デザインの先駆者、母はピアニストなので、現実に近い設定だ。映画や8mmカメラ、音楽との出会いは両親のおかげだし、カメラを回すようになってからはサミーの2人の妹が“役者”として協力。『フェイブルマンズ』では子どもたちの撮影風景、その創意工夫から映画を撮る楽しさが伝わってくる。これも監督としての一つの原風景。ちなみにスピルバーグの妹ものちに脚本家などで映画の仕事に携わった。
一方で引っ越しが多かったスピルバーグ家の状況もそのまま描かれ、行く先々での生活の変化が、子ども時代の感受性に影響を与えていたこともよくわかる。また、スピルバーグの両親は、彼が多感な時期に離婚している。このあたりも『フェイブルマンズ』では描かれているが、家族関係の変化がスピルバーグ作品のストーリーや人物描写に影響を与えたのは有名な話。重要な家族の一員が欠けていたり、やや屈折しつつも思わず共感してしまう家族への眼差しが、どのように形成されたのか。サミーの成長と両親の複雑な心情が『フェイブルマンズ』では丁寧に重ねられ、胸を締めつける瞬間が何度もある。
また、サミーの母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)がピアノで演奏する曲はもちろん、重要な場面で使われるクラシック曲には、スピルバーグの実母が気に入っていたものが使用されるなど、彼が子ども時代から親しんできた“音楽”によって、自分を振り返っている。