DCユニバース「シャザム!」最新作に向けて半人前ヒーローの誕生をプレイバック!子どもがヒーローになったワケとは?
『シャザム!』が「子どもに見せたいヒーロー映画」である理由
このヒーロー誕生のシチュエーションで対比されるのは、サデウスとビリーの“精神”だ。父と兄に抑圧された結果、心に復讐心を宿していたサデウスはシャザムの能力を継承することができず、一方純粋で優しい心を持ち続けたビリーは能力を授かることに。育った環境の違いはあれど、復讐心や恨みという“負”の要素が、ビリーとサデウスの運命を分ける分岐点となっている。この原点こそが、「純粋さとはなにか?」を問いかける対比構造だとも言えるだろう。
そしてこの対比は、ヒーローに憧れる子どもに対して、一つの示すべき模範が表現されているとも取れる。こうしたわかりやすい対比要素があるからこそ、本作は「子どもに見せたいヒーロー映画」という評価を得る作品となっているのだ。
中身が“子ども”であるがゆえの弱点も…
優れた精神性を持っているシャザムにも大きな弱点がある。それは、ビリーが“子ども”であることだ。経験値に比例する判断力や冷静さ、情報分析能力が子どもであるがために低く、戦いのなかでは狡猾な“大人”であるサデウスに逆手に取られてしまう。この、身体は大人でも精神は子どもであるがゆえにピンチに陥るシャザムと、大人の狡猾さを戦いに取り入れるサデウスの戦いは「純粋な子どもvs邪悪な大人」という図式になっており、「どんな大人が、理想のヒーローなのか?」というヒーロー論にもつながっていて興味深い。
少年ビリーの「分け与える」という選択が勝利につながる
さらに、この戦いの決着につながるのが、「能力を分け与える」というビリーの行動だ。最終的にシャザムの能力を自分のものにしようとするサデウスは、彼の優しさを利用してビリーのグループホームに一緒に住む兄弟たちを人質に取り、魔法の杖を介してシャザムの能力を自分に渡すように迫る。これは、「能力の独占」という強欲さの表れだ。それに対してビリーは、兄弟たちも自分と同じ純粋さと強い精神を持っていることを信じ、能力を独占するのではなく、「分け与える」という選択を取る。このビリーとサデウスの選択の違いも対比構造となっており、兄弟たちもビリーと同じヒーローになって団結し、勝利へとつながっていくのだ。
「子どもが変身して大人のヒーローになる」。その設定を聞くと、どうしても子ども向けの要素を強く想像してしまうが、「精神が純粋である子どもが主人公」だからこそ描くことができるヒーロー像があることを、『シャザム!』は真摯な作劇によって見せてくれた。こうした劇中に散りばめられた“対比”を意識すれば、作品の持つ「子どもが憧れるヒーローらしさ」の魅力をより深く理解することができるだろう。
続編となる『シャザム!~神々の怒り~』では、シャザムが“神々の領域”を冒したと激怒した父の命を受け、復讐に燃える“神の娘たち”がドラゴンや巨大モンスターを引き連れて地球に襲来する。前作で描いたテーマ性をどのように昇華し、進化させて見せてくれるのか?映像面だけでなく、作品性としてのパワーアップにも大いに期待したい。
文/石井誠
『シャザム!』
ブルーレイ 発売中 価格:2,619 円(税込)
DVD 発売中 価格:1,572 円(税込)
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント