松山ケンイチ&長澤まさみ『ロストケア』で”殴り合いのような”対峙を振り返る「芝居の時間を共に過ごしたからこそ、わかちあえるものがある」
「役を通して伝えたいことをきちんと演じられれば大友として成り立つ」(長澤)
――斯波と大友もかなり難しい役という印象です。演じるうえで心がけていたことを教えてください。
松山「斯波は42人を殺めた人物で、原作での描写通りです。ただ、原作は10年前に世に放たれたもので、当時はまだ介護殺人の事件が表にあまり出ていないころ。ちらほらはあったけれど、メディアが大々的に取り上げるような事件はそれほどありませんでした。それが10年経ったいま、介護殺人や命の選別のような話が現実に起きてしまっています。でも、映画で伝えたかったのは単なる介護殺人の話ではありません。
同じ殺人でもなにかが違う、それを演技で明確にする必要が出てきたと思いました。この作品のクランクインが、介護施設での事件が頻発する前だったら違う表現になっていたはず。現実にそういう事件が起きてしまっている現状があるから、そことは違うという表現をしなきゃいけない。すごく悩みましたし、監督ともたくさん話し合いました」
長澤「大友は私生活で悩みを抱えている人物です。斯波と向き合い、検察官という立場で法律という正義をかざして事情聴取していきます。その過程で斯波の言葉に巻き込まれ、自分の正義が見えなくなり、葛藤し悩んでいく。それが大友という役を通して伝えたいことであり、そこをきちんと演じられれば、大友として成り立つと考えて役に向き合っていました」
松山「斯波と大友は“法から外れている人”と“法の番人”という全然立場が違う者同士。斯波は法律の穴を知っている現実の人間で、大友はもしかしたら法律は理想でしかないかもと思い始める、その対峙を描いています。大友がただ『あなたは殺人犯です、サイコパスです』と斯波を切り捨てたらこの話は成立しません。
お互い問答を繰り返しながら、これは間違いなのか正しいのかという“揺れ”のようなものを僕らは表現しなきゃいけない。僕が原作から受け取っていたのは、この国をどうしていきたいのか、未来の話をしている2人になるということ。そして、もし原作通り大友が男性だったら、この映画は成り立っていたのかどうかはすごく気になっていました」
――斯波と大友として向き合って感じた、役者としてのお互いの印象を教えてください。
松山「長澤さんが演じる大友と対峙し、2人に性別は関係なかったとわかりました。言論での殴り合いのようなものは、性別関係なくできるんだと実感したし、僕が原作と映画での描き方で気になっていた部分を、表現してくださったのはすごく助かったし、ありがたかったです。意識していたのか意識してなかったのかはわからないけれど、ちゃんと表現されていることに本当に驚きました」
長澤「斯波と大友の対決の場面では、まず松山さんの足手まといにはなりたくないから、ちゃんと向き合っていけるように、そして負けないように頑張らないといけないなって。検事という立場があるから余計に説得力が大事。そういう意味で対等にぶつかれる形でお芝居ができたらと思っていました。
映画の設定と違って、原作では大友が男性であることを聞いていて、監督から読まなくていいと言われていましたが、実はサラッと目を通したんです。エリートで考え方に堅さを感じる人という印象を受けまして、そういう堅さは映画での大友にも持っていたいと思いました。私生活では自分の選択に迷いのようなものを感じさせるのに、仕事となると自分が信じる正義で突き進んでいく。そういう部分が大友の堅さ、芯の通った部分になればと考えて向き合いました。でもそれはあくまでも頭のなかで描いていたイメージで、実際は現場で松山さんと対峙の芝居をして喋った時に生まれるものを自分のものにしていけたらという思いでした」