松山ケンイチ&長澤まさみ『ロストケア』で”殴り合いのような”対峙を振り返る「芝居の時間を共に過ごしたからこそ、わかちあえるものがある」
「大友の涙は斯波にとっての罰になるのかどうかをすごく考えさせられた」(松山)
――お2人の対峙シーンはいくつか登場しますが、クライマックスは本当にゾクゾクしました。前田監督も「2人の芝居を見る」ためのシーンであり、そのための演出だと熱弁していました。
松山「日活のセットで机と椅子と仕切りだけという環境で、『はい、どうぞ』という感じで撮ったシーン。あんなセットなかなかないよね?」
長澤「監督が『勝負だ!』と言っていた記憶があります。うまくいくかどうかはわからないけれど、これは勝負だって。完成した映像で観た時はすごくキレイだと思いました。なにもなかったあの場所がこんな映像になるなんて、すごいって思いました」
松山「斯波にとって大友は、自分の考えを話す最後の人。死刑判決が出ているから、死ぬことはもう決まっている。だから大友になにを残せるのかが斯波にとってとても重要なことなんです。42人も殺めてなにを残すのかって話だけど、本当にこういう現実があることを知ってほしい。そして法律には穴があって、それはこのままだと広がっていくばかりということを伝えなければいけない。そこは斯波のなかで一貫していたところだと思います」
――前田監督はすべてを削ぎ落としたなかでの2人のシーンが見たかったそうです。そのためのセットだったらしいです。「本当にいいものが見れた」とおっしゃっていました。
松山「あのセットに関しては、監督がほかに思いつかなかっただけじゃないかな(笑)」
長澤「あははは」
松山「考え抜いたという前提で話すと、あんなに広い空間なのに逃げ場がまったくないんです。座っているだけで動くこともある意味ちょっと制限されるというか。ちょっと動いたらそれがまた違う表現になってしまうから…」
長澤「向き合わざるを得ないみたいな状況でしたよね」
松山「逃げ場がなかった。あのシーンは大友のショットを撮った後に、斯波を撮って。どうなるかわからないから、とりあえず段取り通りにやろうという話だったのですが、長澤さんの演技を見て僕は頭が真っ白になっちゃって。『あ、大友は、あ、そうなのか…』って。それで監督と『斯波と大友の答えってこれでいいんだっけ?』という確認をしました。救われたのか、突き落とされたのかどっちなのかって。大友の涙は斯波にとっての罰になるのかどうかをすごく考えさせられた演技でした。斯波としてどうするのが一番いいのか、いろいろ話し合ってから撮影しました」
――長澤さんのお芝居は松山さんが想定しているものとは違っていたということでしょうか?
松山「ある意味想定外でした。台本に書かれているそのシーンの内容が、長澤さんが表現することでズドーンってきたんです。自分が思っていた以上に斯波にとって苦しいと感じて、『あ、そういうことだったんだ』と改めて思い知らされて。それを受けての斯波の芝居にはかなり悩みました」
――前田監督も同じことをおっしゃっていました。長澤さんはとにかく考える人。考えている内容は確認をしなかったけれど、シーンごとにすごく悩んで、考えて、芝居をするという。最後のシーンでは「こんなことを考えていたのか」って驚いたとも。
長澤「前田監督は、“観た人全員がわかってくれるもの”にこだわって撮る方で、常に『もっとわかりやすく』と撮影を進めていました。大友は観客の視点に近いところにいるキャラクターなので、大友を信頼してもらうような説得力を持たせる必要があると考えました。
自分なりの課題として、感情の機微を丁寧に演じたいという思いがありつつ、前田監督はもっと削ぎ落としわかりやすく…という演出だったので、そのバランスをとることを心がけていましたね。斯波が死刑になることは死の決断をするということ。斯波から『あなたも僕と同じことをしている』と言われているような気がしてすごく苦しくもあり、確かにその通りだと思ってしまう境地にいる感覚で演じたシーンです」
松山「本当に殴り合いだった気がしたし、それができたのは本当に幸せでした。監督も喜んでくれたようでよかった(笑)」
長澤「こんなに潔い作品になるとは思ってなかったくらい、2人のやりとりがメインの物語です。劇場でどんな風に観てもらえるのか本当に楽しみですし、観た人それぞれに沁みるものがある、そんなメッセージを持った映画になったと思います」
取材・文/タナカシノブ