衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「キャンセルカルチャー、あるいは#MeToo。それらは我々が生きているこの現代社会におけるキャッチフレーズにすぎません」(トッド・フィールド)

――ただ、日本のメディアでのインタビューということをふまえて、作品の解釈において一つだけ確認しておきたいことがあります。私自身は気にならなかったし、個々の描写について自分なりに反論をすることもできるのですが、日本のジャーナリストの中には、白人の大物芸術家がヨーロッパのクラシック音楽界から追放された後の舞台としてアジアの国が描かれていること、そしてそこで日本のゲーム音楽を演奏していることにアジア蔑視を見出している人が現実に存在しています。せっかくの機会なので、そのことについてあなた自身の反論を伺えないでしょうか?

「なるほど。それはとても興味深い質問ですね。結局のところ、自分も含め、我々はみんな自分のレンズでしか物事を見ることができないということだと思うんです。まず、日本のゲーム音楽について話をさせてください。私はあのゲームのファンで、私の家族はいつも私があのゲームをプレイしていたことを知ってます。あの音楽を『TAR/ター』に持ち込んだ理由は、あのゲームが“モンスター”についての作品であるということ、そして私があの音楽が大好きだからです。さらに言うなら、私にとって日本は特別な国です。叔母が日本人ということもあって、これまでも機会がある度に何度もプライベートで日本に行ったことがあります」

タクトを振り、恍惚とした表情を見せるターは、ベルリンフィルの首席指揮者
タクトを振り、恍惚とした表情を見せるターは、ベルリンフィルの首席指揮者[c] 2022 FOCUS FEATURES LLC.

――そうだったんですか!

「今回も当初は作品のプロモーションのために日本に行こうとしていて、息子もそれについてくる予定でした。だから、あなたと直接会えずに、こうしてZoomを通して会話していること自体、とてももどかしいんですよ」


――そう言っていただけてうれしいです(笑)。

「次に、西洋音楽のヒエラルキーの頂点に立っていた人物が東南アジアで仕事をすることについて、それをキャリアの転落だとするのは間違いであると指摘させてください。21世紀において、クラシック音楽はアジアの全域で高く評価されていて、そこでは最高レベルの演奏がおこなわれています。また、私が知っている優れた指揮者や作曲家たちは、ビデオゲームの音楽について偏見を持っていません。それどころか、現代において新しい音楽が生まれている領域として、ビデオゲームは最もエキサイティングなジャンルだと主張することも可能だと思います。だから、その解釈には正直戸惑いますね。私にとってあのシーンは、主人公が21世紀の優れた指揮者であり、優れた作曲家であることの、とてもシンプルな帰結として描いたものです。ドイツで指揮することができなくなったとしたら、彼女はどこか他の国で指揮することになるでしょうし、死んだ白人の古典音楽家のカノンを演奏することができなくなったとしたら、同時代のより活気のある音楽の分野に飛び込むことになっても不思議ではありません。あのシーンで重要なのは、彼女がいまなおタクトを振っているということです。確かに、彼女はもう時間を元に戻すことはできません。しかし、彼女が立っているのは決して転落した先の場所ではなく、エキサイティングで希望に満ちた場所なのです。私はあのシーンを、彼女にとっての救いの可能性として描きました。『映画の解釈の権利はあくまでも観客にある』と言ったばかりですが、それだけは日本の観客の皆さんにこの場を借りて伝えさせてください」

『リトル・チルドレン』撮影中のトッド・フィールド監督
『リトル・チルドレン』撮影中のトッド・フィールド監督[c]Everett Collection / AFLO

――前作『リトル・チルドレン』から『TAR/ター』までの16年間で、映画界は大きく変わりました。例えば、『TAR/ター』においても印象的なレファレンスがあった『アンナの出会い』(78)のシャンタル・アケルマンのような作家が、映画ジャーナリズムの世界や映画ファンの間で飛躍的に大きな脚光を浴びるようになったのは“良き変化”と言えると思います。一方で、『TAR/ター』ではキャンセルカルチャーをはじめとするこの16年の“悪しき変化”についても描かれていると感じました。前作からの16年間における“良き変化”と“悪しき変化”について、あなたはどのように考えていますか?

「なにが“良き変化”なのかなにが“悪しき変化”なのか、私にはわかりません。一つだけ言えるとしたら、これが私たちが生きている世界だということです。いま、あなたの言っていた“良き変化”というのは、シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』が英国映画協会と『SIGHT AND SOUND』誌が選ぶ“史上最高の映画”で『市民ケーン』や『めまい』を差し置いて1位になったことを念頭に置いているわけですよね?」

主婦の反復する日常を描写した『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』
主婦の反復する日常を描写した『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』[c]Everett Collection / AFLO

――はい。それもそのうちの一つです。

「確かに、驚くべきことでした。と同時に、それは単なるリストにすぎません。私は長年ずっとシャンタル・アケルマンの作品を信奉してきましたし、『TAR/ター』において彼女の『アンナの出会い』に敬意を表してオマージュを捧げる際にも細心の注意を払いました。そして、キャンセルカルチャーについて。『TAR/ター』は権力についての映画です。私が長年深く考えてきたのは、この世界で、誰が権力を保持したまま腐敗することから逃れ続けることができるのかということです。そして、その答えは『腐敗から逃れられる権力者は誰もいない』ということ。権力は、絶対に腐敗するんです。これは真実です。私たちは何年も何年も権力の成り行きを見てきて、それを知ってます。『TAR/ター』に違いがあるとしたら、権力者が女性であるということです。その点において、『TAR/ター』はおとぎ話的なのです」

――なるほど。

「キャンセルカルチャー、あるいは#MeToo。それらは我々が生きているこの現代社会におけるキャッチフレーズにすぎません。古代ギリシャの時代から、我々は権力者たちのスキャンダルと共に生きてきました。私がこの映画の舞台を10年前、20年前の世界に設定していたら『これはキャンセルカルチャーについての映画だ』とは言われなかったでしょう。この映画でリディアが破滅する理由やそのきっかけとなったツールが現代的なのは、これが現代を舞台にした物語だからです。私の立場から言えるのは、自分は『キャンセルカルチャーについての映画を作ろう』と意図したわけではないということ。私はキャンセルカルチャーについてなんらかのコメントをすることに関心がありません。残念ながら、現在も映画界には腐敗した権力は存在していて、その権力から不当な利益を得ている人がたくさんいて、人々は不幸な取引をし続けています。そしてクラシック音楽の世界を舞台にしている『TAR/ター』もまた、映画界と同じような世界に生きているキャラクターの行く末を描いた作品なのです」

マーク・ストロング演じるエリオット。一触即発な人間関係が描かれる
マーク・ストロング演じるエリオット。一触即発な人間関係が描かれる[c] 2022 FOCUS FEATURES LLC.

宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

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