この夏、キム・テリ主演「悪鬼」と共に楽しみたい。いますぐ観られる“韓国オカルトムービー”
Disney+で配信中の韓国ドラマ「悪鬼」に熱視線が注がれている。6月23日にSBSで初放送されると、全国世帯基準で9.9%を記録(視聴率調査会社ニールセン・コリア調べ)。週末ドラマの中で1位を獲得するなど、右肩上がりで推移しつつある。去年、第58回百想芸術大賞でTV部門女性最優秀演技賞を授賞するなど高評価を受けた「二十五、二十一」のキム・テリを主演に迎え、「サイコだけど大丈夫」のオ・ジョンセ、「弱いヒーロー Class1」で印象を残したホン・ギョンが出演と放送前から高まっていた期待に応える作品の出来映えに、終盤に向けてさらなる注目が集まる。
貧しい家庭に生まれ、学生時代からアルバイトに明け暮れるク・サニョン(キム・テリ)は、病を抱えた母(パク・ジヨン)と二人暮らし。なけなしの貯金を振り込め詐欺で失い、生活はますます苦境に追い込まれていた。そんななか、父親のク・ガンモ(チン・ソンギュ)が亡くなったと聞かされる。民俗学の教授だった父について、とうの昔に死んだと聞かされていたサニョンは驚き、さらにその不可解な死にも疑問を抱く。ある時、民俗学者ヨム・へサン(オ・ジョンセ)と出会ったサニョンは、自分に取り憑く呪わしい“悪鬼”という存在を知る。2人は、自身と家族の不幸に深く関係している“悪鬼”と対決していく。
本シリーズを手掛けた脚本家は、「キングダム」のキム・ウニだ。時代劇とゾンビものという全く異なるジャンルを融合させて傑作ドラマを生み出し、いまや“韓国型ジャンルものの巨匠”と称される凄腕のドラマ作家だが、民俗学に基づくオカルトサスペンス「悪鬼」は、彼女のフィルモグラフィーの中でもやや異彩を放つ。
インスピレーションの源泉についてキム・ウニは、幼少期に好んで観ていた韓国のホラー番組「伝説の故郷」を挙げている。韓国で語り継がれる伝説を題材にしたこの番組では、毎年夏に観た納涼特集が開催され、登場する幽霊や妖怪が持つ物悲しさや無念さに、キム・ウニは子供ながら鮮烈な印象を受けたそうだ。キム・ウニが指摘しているように、韓国ではこうした晴らせない悲哀やわだかまりを“恨”(ハン)として長く芸術で表現してきた。今回はドラマシリーズ「悪鬼」の見どころとともに、配信で楽しめるおすすめオカルトムービーをご紹介しよう。
本当に残酷なのは悪魔ではない?人間の心の闇を描く「悪鬼」
キム・ウニは「悪鬼」について「世界を破滅に追い込むような巨大な悪ではなく、私たちの生活に密着した鬼や神々を描きたかった」と明かし、その起源が民俗学と密接に関わっていることを踏まえてしっかりリサーチを重ねたそうだ。そのため、民俗学の研究対象である、シャーマンと呼ばれる職業的宗教者が神のお告げを人々に伝える朝鮮半島の土着的な信仰「巫俗信仰」にまつわる用語が多く登場する。専門用語の多用は、リアリティが強くなる反面、物語を難解にしてしまう欠点があるが、「悪鬼」はある程度時間をかけられる連続ドラマの特性を生かし、“儀式や呪いによって何が起きるか”をきちんとシーンとして見せ、分かりやすく提示している。
「悪鬼」の持つ力強さは、こうしたリアルなモチーフだけではない。陰謀を企む為政者と人心ある世子の対立を描く「キングダム」がそうだったように、キム・ウニはホラーやオカルト的題材に社会性を上手く溶け込ませる。先に挙げた「世界を破滅に追い込むような巨大な悪ではなく、私たちの生活に密着した鬼や神々」とはすなわち、現実社会における人間の金や欲望と、そうした酷薄な現実で搾取されたことで“邪悪な存在”に堕ちてしまう弱者の怨念のことも指している。
サニョンとヘサン、各々のキャラクターとその関係性は、派手ではないが着実にドラマを牽引する。自身に取り憑いた悪鬼を祓いたいサニョンと、亡き母の死の真相に迫りたいヘサンが手を取り合う形でストーリーは進んでいるが、2人はバディのように強い信頼で結ばれているわけではない。最新話の第8話でも、悪鬼の餌食になりかけたヘサンを、サニョンは一度見捨てようとする。しかし結局ヘサンを救い、サニョンは胸のうちを吐露した。二人が孤独と心の闇を抱える同志として、タフに共闘していく展開に期待が持てる。
キム・テリとオ・ジョンセの起用も功を奏している。特に、2人の声が持つ落ち着いたトーンは、ドラマに成熟した色合いを加えた。たしかに、ホラーやオカルトムービーの醍醐味はテンションの高い恐怖シーンでもあるが、「悪鬼」のようにじんわりと禍々しさが観る者の心に広がり、恐怖の余韻を残すスタイルも新鮮だ。見ごたえをキープして視聴者を飽きさせない「悪鬼」は、本格派のオカルトドラマとして吸引力が高いドラマだ。
観るほどに謎が深まる!韓国オカルトものブーム火付け役『哭声/コクソン』
現代で韓国オカルトムービーの金字塔と言えば、やはりナ・ホンジン監督『哭声/コクソン』(16)を挙げたい。
平和な田舎の村で、村人が家族を殺す凄惨な事件が多発。地元の警官ジョング(クァク・ドウォン)は、村に入り込んでいた素性の分からないよそ者(國村隼)に疑惑の目を向ける。そのうち、ジョングは自分の娘ヒョジン(キム・ファンヒ)にも異常が起きていることに気づく。ヒョジンを救うためによそ者を問い詰め、祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)も呼び寄せるが、村はさらなる混乱に包まれていく。
イルグァンとよそ者による“悪魔祓いバトル”のシーンがあまりにも有名で、オカルトでもありながらコメディ調にもなるノージャンルムービーとして名高い『哭声/コクソン』。一方で「ふと、オカルトジャンルはなぜ廃れてしまったのか考えた時、文化的にカトリックを背景とする西洋の人々の限界が明らかになったのではないかと考えた。アジア人であり韓国人として、カトリックに対する外からの視点と理解をもとに話を解釈していていけば、ジャンルが復活が可能ではないかという期待した」と語っているように、制作意図がオカルトムービーの復興だったことは興味深い。
さらに、ウィリアム・フリードキン監督による傑作『エクソシスト』(73)が公開された1973年が、オイルショックやウォーターゲート事件、金大中誘拐事件といった混沌に満ちていたことを指摘し「いまの私たちの社会的雰囲気と似ている」とも語っている。カトリックと土俗信仰を対峙させ、融合も図りながらも、果たして信仰で救われるのか?そもそも“信じる”とは何を“信じる”のか?という絶望な問いかけもはらむ『哭声/コクソン』は、現代社会そのものを剥き出しに表現しているのかもしれない。