『こんにちは、母さん』とロケ地“墨田区”との親和性。山田洋次監督ならではの視点で切り取った、下町の魅力と歴史

コラム

『こんにちは、母さん』とロケ地“墨田区”との親和性。山田洋次監督ならではの視点で切り取った、下町の魅力と歴史

江戸末期から続く「向島めうがや」、春になると千本桜が咲き誇る桜橋付近のエリア

墨田区はものづくりの魂が根づく職人の街として、歴史ある工房が数多く存在する。昭夫の実家もまた、向島で足袋屋を営んでいるという設定。職人だった父が亡くなったあとは、福江が店を続けている。この店のモデルとなったのが、向島に実在する江戸時代末期の慶応3年(1867年)創業の老舗足袋屋「向島めうがや」である。シナリオハンティングの際にめうがやを気に入った山田監督は、脚本を書く時にも取材をし、福江のキャラクター像を練り上げていった。

向島は明治時代から花街として栄えた街。見番通り沿いや周辺には、いまも多くの料亭が店を構えている。めうがやは、この見番通りに近い桜通り沿いにある。本作にも立浪部屋の力士、明生が本人役で登場しているが、丁寧に採寸され、一足ずつ伝統的な技法で仕上げていく完全フルオーダーの足袋は、芸妓さんやお相撲さんからの人気も高い。

めうがや前の桜橋通りでは、昭夫や木部が歩いているシーンも撮影された。昔ながらの建物が並ぶ通りには、下町らしい風情が感じられる。ちなみに、吉永はめうがやで自身の足袋をオーダーし、福江がミシンを扱うシーンでは、女将さんに指導してもらったとのこと。本作を通して女将さんと仲良くなった吉永は、いまでも文通をしているという。


桜橋下付近にある小さい公園で撮影されたのは、昭夫の実家で退職を勧告された恨みをぶちまけて自己嫌悪に陥っている木部と、彼を追いかけてきた舞が会話するシーン。めうがやからも近い桜橋は、墨田区と台東区を結ぶ、隅田川唯一の歩行者専用橋。その名の通り、春は両岸の隅田公園に見事な千本桜が咲き、毎年花見シーズンになると、桜を鑑賞する人々で橋の上が埋め尽くされるほどの賑わいを見せる。

希望退職を勧告された木部は、昭夫の実家に押しかけ問い詰める
希望退職を勧告された木部は、昭夫の実家に押しかけ問い詰める[c]2023「こんにちは、母さん」製作委員会

墨田聖書教会や「カフェムルソー」、二天門桟橋は福江と荻生牧師の思い出の場所に

長い間、一人で気丈に生きてきた未亡人の福江が、街の教会の牧師である荻生に抱く恋心の行方も、この物語の見どころの一つ。原作では福江と荻生はすでに恋人関係だが、映画の福江はまだ自分の気持ちを相手に伝えていない状態だ。年齢を重ねたいまもなおかわいらしい福江の心模様が、本作で描かれる数々のデートシーンから感じられる。

福江と荻生牧師の交流の場として描かれる教会のロケ地は、日本オープンバイブル教団に属す、プロテスタントのキリスト教会である墨田聖書教会。戦後まもなく、アメリカのオープンバイブルスタンダード教団より派遣されたJ.F.コリンズ宣教師と墨田の人たちの協力によって、1950年に設立された教会だ。劇中でも、福江やボランティア活動の仲間たちの礼拝の場面が出てくるが、礼拝や定例の集会のほか、バザーやコンサート、アートイベントの開催など、街の活性化の拠点としても用いられている。

教会の中は、温もりのある家庭的な雰囲気。木製の椅子を修理する荻生牧師を見つめる福江の眼差しには、彼への尊敬と愛情がまざった想いがにじむ。教会を出た福江と荻生が、目の前の通りで具合が悪くなって倒れたホームレスのイノさんを助けるシーンでは、墨田聖書教会の外観も映る。断面が半円形の米軍のかまぼこ兵舎(クォンセット・ハット)を利用した会堂は、都内でもめずらしいレトロモダンなデザインで、建築に興味がある人もよく見学に訪れるという。人からの助けを必要とせず、大量の空き缶が入ったゴミ袋を自転車に乗せて去っていくイノさんの後ろ姿を見送りながら、荻生牧師が「彼は天使かもしれない」とつぶやくセリフが印象的だ。

休日、一緒にピアノリサイタルを鑑賞した福江と荻生が、その後に立ち寄る喫茶店として登場するのは、隅田川沿いにある人気のカフェレストラン「カフェムルソー」。テラス席と窓際の席からは、東京スカイツリーがほぼ目の前という絶好のロケーション。春には満開の桜、夏には隅田川花火大会の第二会場で打ち上がる大迫力の花火を観ることができるため、花見シーズンや隅田川花火大会前には予約が殺到する。吾妻橋と駒形橋の間に位置するので、夜は両方の橋のライトアップが楽しめるところもうれしいポイントだ。

リサイタルの日のデートでは、福江と荻生がガラス張りの水上バスに乗って、リバークルーズを楽しむ様子も描かれる。2人が乗ったのは、東京都公園協会が運航している東京水辺ラインの水上バス。さわやかな風を感じつつ、キラキラと光る隅田川沿いの風景を満喫した2人が水上バスから降りた場所は、浅草・言問橋手前の二天門桟橋。ここは隅田公園の豊かな緑に囲まれた船着場で、屋形船とスカイツリーを背景に写真を撮ることもできる。地元の人ほど、観光スポットには意外と行かないものなので、「初めて乗ったわ」と言う福江の華やいだ声には、好きな人と一緒に非日常体験ができた喜びがあふれている。

一緒に北海道へ行きたい想いを押し殺し、福江が荻生牧師を見送る
一緒に北海道へ行きたい想いを押し殺し、福江が荻生牧師を見送る[c]2023「こんにちは、母さん」製作委員会

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