洋画興行の危機、ファンダムビジネスの最大化…日本の映画興行の”健全さ”はどこに向かう?【宇野維正「映画興行分析」刊行記念対談】
「これだけ大きな変化が起こっているのに、どうしてみんな平気な顔をして同じように仕事をしてるんだろうって」(宇野)
下田「『映画興行分析』の“はじめに”では『この20年余りで、動員数はほぼ変わっていないにもかかわらず、日本映画と外国映画のシェアは大体3:7から7:3に逆転している』とあって。改めてその事実を突きつけられると、なかなか衝撃的ですよね…。私は映画関連の仕事を約15年前に始めたのですが、まさに入れ替わりを目撃してきた実感があります」
宇野「コロナ禍はそのダメ押しにすぎなくて、その前から事態は進行していたわけですが、これだけ大きな変化が起こっているのに、どうしてみんな平気な顔をして同じように仕事をしてるんだろうって、いつも思ってます。まるで映画の『関心領域』みたいだと言ったら不適切かもしれないけど、見たくないものは見ないようにしてるのか、それとも自分の好きなものに囲まれて日々の生活ができていればそれでいいのか。下田さんは約5年前からMOVIE WALKER PRESSという映画ウェブメディアの編集長もやってるわけじゃないですか。そのあたり、どういう実感がありますか?」
下田「映画メディアの人間としてもですが、ムービーウォーカーという会社は、デジタル映画鑑賞券のムビチケも運営していて、 インシアターメディアの『シネコンウォーカー』という媒体もあるし、劇場装飾や、映画パンフレットにも携わっている。かなり映画館に直結した事業をやっているので、いままで”映画興行”と思っていたものの内実がガラッと入れ替わったっていうのは、まざまざと感じました。それに、かつては公開前に前売券がこのぐらい売れたら初週の興収が見えて、初週の興収が見えれば最終興収もその何倍ぐらい…みたいな予測も大きく変わってきましたね」
宇野「配給会社や興行サイドの予測の立て方も変わった?」
下田「そうですね、アニメーション作品や、ファンダムの影響が大きい作品だと、これまでの知見では予測できないなと感じるところも大きいです。前売券の枚数だけでなく、テレビスポットを投下した時期や、メディアでの露出量、ソーシャルメディアで投稿された回数の推移の相関関係なんかを、同時公開作品とにらめっこをしながら見ている感じです」
宇野「そもそも、ファンダム需要を中心とするODS作品に関しては客単価も上がっていて、かつて日本映画製作者連盟はそれを年間興行ランキングから除外してたんだけど、コロナ禍を機にその枠も取り外した。結果、2021年の実写日本映画の1位は『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』になりました。もちろんお客さんもたくさん入って、リピーター需要もたくさんあったわけだけど、その最も大きな要因は大人の料金が3300円だったから。そういう、いままでの指標では読みきれない事例が、年間興収トップ10クラスの作品でたくさん起こってる」
下田「実際のトレンドと、ユーザーが『観たい』とアクションした作品を比べたり、メディア側でも参考にしています。特にMOVIE WALKER PRESSは、映画ファンの中でも”映画館に行く人”に向けて仕事をしている意識が強いので」
宇野「なるほど。必ずしも映画ファンのすべてが映画館へ頻繁に足を運んでいるわけではないというのは、まさに“配信プラットフォームの普及以降”って感じですね。そんな中でも、”映画館に行く人”の中心層の若返りと、リピーター需要の急増と、入場者プレゼントの常態化というのは、ここ数年の新しいトピックですよね」
下田「“何週連続入場者プレゼント”のように、毎週中身を入れ替えて配布したりするようになって。入場者プレゼント目当てに劇場を足を運ぶ観客が増えることで、動員数は動員数ですけど、観客の実数のわりには興収の高い作品が増えたり、配布する劇場側のオペレーションがあまりに複雑になっていたりもします」
宇野「音楽業界におけるCD売上げのための握手会ビジネスみたいなことが、映画業界でも起こっている」
「日本は映画館にちゃんと人が来ている。自分はそのポジティブな側面に目を向けたい」(下田)
下田「でも、今年のCinemaCon(毎年ラスベガスで行われる、世界中の映画興行者が集まるイベント)で開催されたセミナーでは、『パンデミック中、日本市場が世界で唯一健全さを保っていた』ということに強い関心が集まっていたそうです。メキシコの映画館チェーンでの『鬼滅の刃』上映で日本風の“オマケ(=入場者プレゼント)文化”を取り入れたら大盛況だった、みたいなトピックがファンダムビジネスの最大化の事例として紹介されたり」
宇野「“ファンダムビジネスの最大化”。まさにいま起きているのはそれだよね。昨年はメジャースタジオや配給会社をすっ飛ばして、映画館チェーンのAMCシアターズと直接契約して公開された『テイラー・スウィフト: THE ERAS TOUR』の大ヒットが北米の映画興行界に激震をもたらしたわけだけど、日本は嵐やBTSのコンサート映画でそれに先んじていた。冗談でもなんでもなく、もしかしたらテイラー・スウィフトやそのスタッフは日本の映画興行を参考にしたのかもしれない」
下田「コロナ禍と、それが明けたと思った途端に突入したダブルストライキによって、世界中の映画興行が息も絶え絶えとなるなかで、状況が大きく動きましたよね。ソニーは傘下のアニプレックスでアニメを作って、日本のアニメを海外に配信しているCrunchyrollで映画を配給する流れを作ったり。東宝は海外拠点を集約したTOHO Globalを設立して、『ゴジラ-1.0』を自社で配給するようになったり」
宇野「『鬼滅の刃』のグローバルコンテンツ化も、『ゴジラ-1.0』の世界的なヒットも、コロナ禍とダブルストライキ以降の“ハリウッド映画の供給不足”という新しい環境下で起こったことで。配給においても興行においても、2020年以降の日本は世界の映画業界をリードしているとも言える」
下田「明るい話題ばかりとはもちろん言えないですし、なにをもって“健全”と呼ぶかは意見が分かれることだと思いますけど、“映画館に人が集まっている”ことを“健全”と呼ぶなら、日本は映画館にちゃんと人が来ている。自分はそのポジティブな側面に目を向けたいです」
宇野「実は『映画興行分析』でも、あまり悲観的なトーンでは書かないようにしたんですよ。ただ、自分の足元を見つめると、これまでとはまったく違う場所に立ってることに気づかされずにはいられない。『コロナの時期は大変だったけど、なんとかなったね』みたいな話ではまったくなくて、最近だと『パスト ライブス/再会』とか『異人たち』とか『チャレンジャーズ』とか、自分が応援する実写の外国映画にあまりお客さんが入ってない。配給会社直営の映画館でアルバイトをしていた時代から数えたら、自分は30年以上この世界に出入りしていて。どうやったって日本では当たらないタイプの外国映画があることはわかってるつもりなんですが、最近は『この作品だったら日本でもかなり話題になるだろう』というタイプの作品も、限定的な範囲でしか評判が広がらないという実感があります」
下田「そうですね…。挙げてくださった3作品、私も熱を入れて応援していた作品です。社内の人間にも、『いい加減「チャレンジャーズ」の話、うるせえよ』って思われ始めていると思います(笑)。でも、クチコミを受けて粘り強く興行してほしいと思っても、初週の成績で、ガクッとスクリーン数を減らされてしまったり。映画の公開期間は平均4週間~8週間と言われてますが、かつてより、ものすごくロングランでかかる作品や、ブッキング数の極端さも変わりましたね」
宇野「映画興行では、どうしても最初の週末の成績が注目されがちで、実際にその数字がその後のスクリーン数に大いに影響しちゃうんですよね」
下田「つい先日、NATO(全国劇場所有者協会)のマイケル・オリアリー会長も、Varietyのインタビューで『オープニング週末興収への過度な注目が集まりすぎている』と発言してました。初週の数字だけで興行を評価するのは適切ではないし、IMAXをはじめとするラージフォーマット上映のための設備投資など、他の指標も考慮すべきだと」
宇野「かつては雑誌の発売日にも縛られていたので、新作のプロモーションって公開の数週間前から段階的におこなわれていたじゃないですか。でも、ウェブメディアが中心になってからは、宣伝サイドからの希望もあってできるだけ公開前日や公開日にインタビューがアップされるようになった。それはオープニング興収が大事だからなんだけど、結果的にそれによってさらにオープニング興収への偏重が加速してしまってる。書き手としては、10個の記事がアップされる日に自分の記事をどう差別化するのかについて考えなくてはいけない状況で」
下田「それは宇野さんとMOVIE WALKER PRESSでの『映画のことは監督に訊け』の連載でも散々話してきましたよね」
宇野「そもそも、同じ取材日に分刻みでやったインタビューが同時にいくつも出るのとか、宣伝効果としてもどうなんだっていう問題意識もずっとあったんだけど。それだけでなく、ウェブメディアの記事の消費期限についてもよく考えますね。『映画のことは監督に訊け』に連載としてのアーカイブ性を持たせて、何かあったタイミングで自分のXのアカウントから過去記事をポストするのも、今回リアルサウンド映画部での連載を『映画興行分析』として書籍にまとめたのも、ウェブメディアの即時性に対する抵抗でもあって」
下田「“はじめに”では連載の当初から書籍化を念頭に置いていたわけではないと書かれてますが、どのタイミングで書籍としてまとめようと思ったんですか?」
宇野「最初に頭をよぎったのは、コロナ禍の初期ですね。『映画興行分析』は書面で視覚的にすぐ振り返られるように作ってますが、2020年の4月第3週から5月第2週にかけては興行通信社からランキングも発表されなくなって、その時期、新作の公開がストップしていて、どの興行関連の記事も連載を休止してたんです。それでも自分はその当時映画業界で起こっていることを毎週記録し続けていたのですが、ふと周りを見渡してみたら、自分だけがそれをやっていた」
下田「その時期に新作公開の口火を切ったのは、幸福の科学出版製作の『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』でした」
宇野「そう。『心霊喫茶「エクストラ」の秘密-The Real Exorcist-』はそこから4週連続で1位になってます。こうして本にしてみると、いろんなことを思い出しますね。最近だと、『セクシー田中さん』のテレビドラマ化の際のトラブルが大きな問題になりましたが、その後に発表された報告書と照らし合わせると、水面化で脚本家と原作者、テレビ局と出版社のトラブルが起こっていたちょうどその時期、5週連続で1位を独走していたのは同じ脚本家による『ミステリと言う勿れ』でした。そのことはあまり指摘されていませんが、“興行から物事を見る”ということには、そういう視点も含まれてます」
下田「あと、小池百合子都知事を名指しで批判していたり」
宇野「そりゃそうですよ。コロナ禍初期の後手後手の対応には、2020年にオリンピックをなんとか開催しようとする意図が見え隠れしてました。だから、そういうことは記録として残しておく価値があるだろうと。そして、別にリアルサウンド映画部が危機に瀕しているわけではまったくないんですが、記録を残しておく場所としてはウェブメディアが相応しいとは思えない」
下田「そうですね。どのウェブメディアも3年後、5年後はどうなっているかわからない。その危機感はもちろんあります」
1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。米ゴールデン・グローブ賞国際投票者。「リアルサウンド映画部」アドバイザー。映画誌やファッション誌での連載のほか、YouTubeやPodcastでも精力的に活動。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)、『くるりのこと』(くるりとの共著、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(レジーとの共著、ソル・メディア)、『2010s』(田中宗一郎との共著、新潮社)、『ハリウッド映画の終焉』(集英社新書)などがある。
■イベント情報
『映画興行分析』刊行記念トークショー
出演者:宇野維正、さやわか
日 時:2024年7月13日(土)19時~
配信サービス:Zoomウェビナーにて配信
配信期間:2024年7月13日(土)19時~2024年7月28日(日)23時59分(アーカイブ視聴可)
参加対象者:blueprint book storeにて書籍『映画興行分析』を購入した方