いよいよ30代に突入した山崎賢人!「キングダム」や「ゴールデンカムイ」、『斉木楠雄のΨ難』で磨いてきた独自の存在感に迫る
どんなビジュアルのキャラクターも「すぐそばにある」と感じさせる感触
端正なルックスを逆手にとる術にも非凡さがある。ビジュアルの美しさを際立たせるのではなく、「誰にでもなれる」汎用性の土台として活用している。Netflixの「今際の国のアリス」シリーズ然り、いままさにシリーズ化が始まったばかりの「ゴールデンカムイ」然り。初々しさも、不死身感も、特殊なものとしてデフォルメするのではなく、「すぐそばにある」感触が優先されている。だから、彼の表現は絶対にコスプレには陥らない。たとえ、どんなにメイクや衣装を漫画に寄せていたとしても、だ。
漫画の人物を「身近」に住まわせる。この説得力は、小説原作の場合も同様で、又吉直樹の『劇場』(20)では無精髭の面構えで、プライドばかりデカい卑小なアーティスト志望青年のちっぽけな狂気を見せた。観客によって不快に感じたり、愛おしく思えたりもする多様な人格形成は「もし、この人物が私たちのすぐそばにいたら?」と考えさせるほど、自然だった。
虚構の人物にまとわせる不思議な親近感
こうした山崎のありようの近年の達成の一つに『陰陽師0』(24)が挙げられる。これは漫画原作というよりは、かつて野村萬斎によって演じられた安倍晴明の若き日の姿=エピソード0なのだが、萬斎の上半身のブレのなさに最大限のリスペクトを捧げながら、その体躯で観る者を圧倒するのではなく、「あの晴明もこうだったのかもしれない」と思わせる人間的リアリティを醸成している。明らかに特別な能力と魅力にあふれたキャラクターであるにもかかわらず、遠い存在として演じず、「そばにいる」ニュアンスの「身近」なテクスチャで、「平然と目の前に存在させている」。
虚構の人物はある意味、全員高貴である。だが、山崎が表現すると、不思議な親近感が湧く。なんとなく近づいてきて、いつの間にか「そこ」にいる。彼の芝居には得難い魅惑がある。
奇しくも『キングダム』第1作が公開されたのは令和が始まる直前、2019年4月19日だった。いまや令和の映画スタアと呼んで過言ではない山崎賢人は、彼にしか歩めない道を、類稀なる献身と共に進んでいる。9月7日に、彼は30歳になった。輝ける30代、今度はなにを見せてくれるのだろう!
文/相田冬二
※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記