【追悼】デイヴィッド・リンチよ安らかに…難航したデビューから長編遺作となった180分の怪作まで、“映画監督”としての経歴を振り返る

【追悼】デイヴィッド・リンチよ安らかに…難航したデビューから長編遺作となった180分の怪作まで、“映画監督”としての経歴を振り返る

“カルトの帝王”の異名を持つデイヴィッド・リンチが、1月16日(現地時間)に亡くなった。78歳だった。現地メディアの報道によれば、死因については発表されていないものの、リンチ自身は長年にわたる喫煙で肺気腫と診断され、昨年後半ごろからは外出もできず、酸素の吸入が必要な状態で生活していたという。そしてロサンゼルスの山火事で娘の家へと避難し、そこで息を引き取ったとのことだ。

(画像は2017年の「ツイン・ピークス The Return」プレミアより)
(画像は2017年の「ツイン・ピークス The Return」プレミアより)[c]Everett Collection/AFLO

イレイザーヘッド』(77)で長編映画監督デビューを果たしてからもうすぐ50年が経とうとしているが、これまでリンチが手掛けた長編映画はわずかに10本。それだけ聞くと寡作家のように思えるが、実際に長編映画を手掛けていたのはデビューから30年間だけ。テレビシリーズや短編映画、MVなどを含めれば近年もコンスタントに制作活動を続けており、IMDbによれば監督作品は実に100本を超える。

“映画監督”というよりも、“映像作家”という呼称がふさわしいだろうか。音楽家や画家などとしても活動していたことを考えると、“アーティスト(芸術家)”とするのが最もしっくりくるだろう。それでもここからは、“映画監督”としてのリンチの経歴を簡単に振り返っていきたい。

【写真を見る】10本の長編映画を含み、MVからテレビシリーズまで監督作は100本以上。“カルトの帝王”の足跡をたどる
【写真を見る】10本の長編映画を含み、MVからテレビシリーズまで監督作は100本以上。“カルトの帝王”の足跡をたどる[c]Everett Collection/AFLO

1946年にモンタナ州のミズーラで生まれ、幼い頃から画家を志ていたリンチは、高校卒業後にボストン美術館附属美術学校に入学するも中退。短い留学を経てフィラデルフィアのペンシルバニア・アカデミーに入学すると、そこで1967年に映画制作を始めた。何本かの短編を手掛けたのち、AFI(アメリカ・フィルム・インスティチュート)が設立した映画学校に入学。AFIの援助を受けながら『イレイザーヘッド』の準備を始める。

『イレイザーヘッド』の製作は1971年に始まり、撮影自体は1972年5月にスタートした。しかしスケジュールが大幅に伸び、資金が底を尽き、撮影は何度も中断。リンチはウォール・ストリート・ジャーナルの配達でなんとか制作費を稼ぎ、約5年近い歳月を経て完成にたどり着く。あまりに難解で陰気な作風のため、当初は映画祭などでも相手にもされなかったが、スタンリー・キューブリックらから熱狂的に支持され、一部でカルト的人気を獲得。

『エレファントマン』はアカデミー賞で8部門にノミネート。リンチ自身も監督賞と脚本賞の候補に
『エレファントマン』はアカデミー賞で8部門にノミネート。リンチ自身も監督賞と脚本賞の候補に[c]Everett Collection/AFLO

その後、メル・ブルックスのプロデュースのもと手掛けた『エレファント・マン』(80)でアカデミー賞監督賞と脚本賞の候補に上がり一躍脚光を浴びると、オファーが急増。『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(83)の監督オファーを断った話は有名だろう。続いてディノ・デ・ラウレンティウスのプロデュースで『デューン 砂の惑星』(84)を手掛けるが、大幅な編集が加えられたことで興行・批評ともに惨敗。それを契機にリンチはファイナル・カット権を死守することを誓ったという。


ラウレンティウスからファイナル・カット権を得る代わりに短期間かつ低予算でと条件が出された『ブルーベルベット』(86)が大成功を収め、テレビシリーズの「ツイン・ピークス」とカンヌ国際映画祭のパルムドールに輝いた『ワイルド・アット・ハート』(90)で自身の美学に基づいた唯一無二の作風を確立すると、それをすべて覆すハートウォーミングな『ストレイト・ストーリー』(99)で世界中を驚かす。

『マルホランド・ドライブ』はBBCの「21世紀の最高の映画100本」で第1位に輝いた
『マルホランド・ドライブ』はBBCの「21世紀の最高の映画100本」で第1位に輝いた[c]Everett Collection/AFLO

そしてリンチ作品のあらゆる美学が詰め込まれた傑作『マルホランド・ドライブ』(01)にたどり着き、同作で3度目のアカデミー賞監督賞にノミネート。多くの映画人に多大な影響を与えたとして、アカデミー賞名誉賞を獲得したのは2019年のことだ。

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