香港、日本、台湾に続く『十年』プロジェクト。タイ編は脳裏に焼きついて離れない、刺激的な問題提起
香港で『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15)を上回る大ヒットを記録したインディーズのオムニバス映画『十年』(15)は、香港のアカデミー賞として知られる金像奨で最優秀作品賞を受賞するなど社会現象を巻き起こした。雨傘運動や香港独立への機運が高まるなかで、返還からそれまでの香港の歴史と現在を見つめながら10年後の未来を見据える。それをまだ名もなき若手監督たちが描くということに、大きな意味があったということだ。
現在開催中の第31回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門には、この『十年』のタイ編である『十年 Ten Years Thailand』が出品されている。10年後の自国の姿を描き出すというコンセプトこそ変わらないが、香港編と比較すると何とも言い難い、狐につままれたような気持ちになってしまう作品であることは否定できまい。あまりにも攻めた作風の数々には、作品の持つテーマ以上にタイの映画文化が持つ計り知れない力を感じることだろう。
導入となる1話目の「Sunset」こそ、表現の規制が厳しい世界を舞台にした2人の若者の淡い恋模様を描くことで、普遍的かつ瑞々しい作品に仕上がっていた。同作のアーティット・アッサラット監督といえば長編デビュー作の『ワンダフル・タウン』(07)や2作目の『ハイソ』(10)と、津波の被害を受けたタイ南部の町を舞台にシンプルなヒューマンドラマを活写したアートフィルムの旗手。今回も短い上映時間の中、巧みに起承転結をつけた正攻法のストーリーテリングとこだわり抜かれた構図の作り方で、その才を発揮している。
ところが、知る人ぞ知る奇抜な怪作『快盗ブラック・タイガー』(00)を手がけたウィシット・サーサナティヤン監督の2話目「Catopia」から様相が一変する。ネコ人間に支配された世界で、何故か人間の出で立ちなのにしれっと紛れ込むことができている主人公が体験する物語に呆気にとられていると、つづくチュラヤーンノン・シリポン監督の「Planetarium」で完全に叩きのめされる。
「Plnetarium」は女性独裁者によって支配された世界が、VTR風の古風で極彩色な映像で綴られていくかと思いきや、突然3Dグラフィック化して混沌の空間へと観客をいざなう。「Catopia」も「Planetarium」も冷静になって捉えてみれば、前者は多様化していく社会情勢の中で直面するであろう民族問題を、後者は現在のチュンチャオ首相が推し進める軍政を批判する暗喩が込められているとすぐにわかるのだが、そこまで頭が回らないほど刺激的だ。
そしてこのオムニバス映画の目玉でもある、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督が手掛けた「Song of the City」は10年後を描くというよりは過去と現在、そして未来への架け橋となることを意識した作品といえるだろう。刺激の強い2本の後だからこそ尚更に、画面の中に穏やかに吹き続ける風と、アピチャッポン作品らしい環境音と長回しの映像が心地よく染み渡る。
若手監督を配した香港編や日本編とは異なり、中堅の監督たちによってこのプロジェクトが制作されたのには、タイという国の今後10年を大きく左右する選挙がすぐそこに迫っているという理由が大きいのではないだろうか。既存の卓越したアーティストたちが放つ説得力のある映像こそ、一度観たら脳裏に焼きついて決して離れない。漠然とした10年先の未来よりも、すぐ“今”になる未来との対話なのだ。
文/久保田 和馬