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ついに明かされる『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』の深層…高橋栄樹監督が読者の疑問に次々回答

インタビュー

ついに明かされる『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』の深層…高橋栄樹監督が読者の疑問に次々回答

「大人の責任とは何かという質問に対しTAKAHIRO先生は『見続けること』と仰っていました。その後TAKAHIRO先生は『どう思いますか?』と逆に尋ねていたと思います。その答えは本編ではカットされていましたが、高橋監督はなんて仰ったのですか?」(10代・男性)

劇場公開時には、ファンの間でも賛否両論が巻き起こった
劇場公開時には、ファンの間でも賛否両論が巻き起こった[c]2020「僕たちの嘘と真実 DOCUMENTARY of 欅坂46」製作委員会

「その時、僕は『報いを求めないこと』だと答えたと記憶しています。ビジネスとしての成果も大切ですが、次世代の成長を支えることも大事な仕事の一つだと思います。彼女たちの夢は社会の未来にもつながることになるのだから、過剰に報いを求めないことが一番大事なのではないかと答えました。
あの時、TAKAHIROさんが僕に質問を返してしてくれたからこそ、この問いかけを作品に使うことができたのだと思っています。それがなければ、映画の作り手がスタッフを糾弾しているという平面的な構図になってしまうからです。“大人の責任”については、我々はもちろん、観客の方にも突き当たる問題ということで劇中に問いかけを入れ、想像していただきたいという意味で僕の答えをカットすることにしました」

「予告動画で菅井さんの『絶対めっちゃ嫌いだったと思います、私のこと』というインタビューが使われていましたが、本編、『OUTTAKE』、特典のインタビューロングバージョン、どこにも使われておらず、謎のままです。真実を明らかにしていただけないでしょうか」(10代・男性)

「あの菅井さんの発言は単純に、ある瞬間にメンバー同士が一瞬距離を置いたことがあったという話でした。皆さんが想像する文脈で出てきた言葉ではなかったのですが、映画のなかに使うことでそれ以上の意味に取られる可能性があると思ったんです。グループに関していろいろな憶測があるのは承知していましたが、確証のない噂の類にはコミットしたくないと考え直し、本編では使用しませんでした」


「今作のタイトルは、被写体に対して、フィクションとドキュメンタリーの関係性を示唆していると仰っていましたが、演出としてのフィクションとドキュメンタリーをどのように考えていたのでしょうか」(20代・男性)

【写真を見る】センターとしてグループを牽引しつづけた平手友梨奈。彼女はなぜ去ったのか…
【写真を見る】センターとしてグループを牽引しつづけた平手友梨奈。彼女はなぜ去ったのか…[c]2020「僕たちの嘘と真実 DOCUMENTARY of 欅坂46」製作委員会

「基本的に両者に違いはないと考えています。フィクションとドキュメンタリー、その二項対立は白か黒かという明確なものではなく、灰色のグラデーションのような気がするんです。フィクションのなかにも俳優の演技に代表されるようなドキュメンタリー性もあるし、ドキュメンタリーであってもカメラを向けられた人は自然とお芝居のようなものを始める。いずれもカメラがある状況のなかでしかないから、決して現実そのものにはなり得ないのです。
欅坂46にまとわりついている“嘘”と“真実”の境界を、映画のなかでは明示していません。多面的に、寛容にグループのあり方を観てもらったほうが良いと思ったからです。そういった点で、時間軸をずらすことに様々な憶測が働くことは承知していたことでもあります。なので公開後の反応はほぼ想像通りでした」

「『僕たちの嘘と真実』というタイトルはどのタイミングで誰が決めたのでしょうか?」(20代・男性)

2020年のコロナ禍によって追加撮影が行われ、作品の構成にも変化が生じることに
2020年のコロナ禍によって追加撮影が行われ、作品の構成にも変化が生じることに[c]2020「僕たちの嘘と真実 DOCUMENTARY of 欅坂46」製作委員会

「『僕たちの嘘と真実』というタイトルは、制作を進めるなかで決めたものです。僕は作品のタイトルを自分でつけることはあまりなくて、今回もスタッフの方がたくさん候補を出してくださったなかから、意見交換を経て決めたんです。『僕たちの嘘と真実』が良いと思ったのは、どこが嘘でどこが真実なのかという、ドキュメンタリーが持っている本質そのものを捉えているからで、一見挑発的だけど誠実にも感じました。
僕は真実と言われているものでさえ、主観の総体でしかないと考えています。たくさんの主観によって、それはあたかも真実のように見えるけれど、それは事実の一断面に過ぎない。ドキュメンタリーはそのことを言い表すためにあえて主観的に撮るメディアです。なにが正しいのかと考える余地を残すことが、作り手として誠実な方法だと考えています」

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