『リスペクト』ジェニファー・ハドソンが語る、“ソウルの女王”本人から教えてもらった「自分の声」の大切さ
2006年の『ドリームガールズ』で、初めての出演映画ながらアカデミー賞助演女優賞を受賞した、ジェニファー・ハドソン。まさに彗星のごとく現れたスターとして、その後の活躍が大いに期待された。『ドリームガールズ』では、黒人女性ボーカル・グループのメンバーとして波乱の運命をたどりながら、圧倒的な歌唱力で観る者の心を震わせたハドソン。
そんな彼女が、持ち前の歌唱力と、オスカー受賞後に培った演技力を最大限に発揮したのが、新作の『リスペクト』(11月5日公開)。“ソウルの女王”として多大な尊敬を集めてきた、アレサ・フランクリン。生前の彼女(フランクリンは2018年に死去)から、「自分の映画を作るなら、絶対にジェニファーで」と直々の指名を受けたことで、その人生を描く作品が完成した。ハドソン自身にとって、アレサは“神”のような存在だった。『リスペクト』では、渾身の役作りによってフランクリンがハドソンに憑依したかのような、奇跡のパフォーマンスを観ることができる。
シカゴで生まれたハドソンは、祖母が教会の聖歌隊で歌っていたこともあって、幼い頃から自身も聖歌隊に参加。「子ども時代に教会で歌っていた『アメイジング・グレイス』など多くの曲は、アレサ・フランクリンがアレンジしたバージョンでした。その事実を知ったのはあとになってからですが、知らないうちにアレサが私の近くに存在していたわけです」と、ハドソンはフランクリンとの最初のつながりを振り返る。
ハドソンが世に知られるようになったのは、TVの人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」だった。2004年、ファイナリストの12人に残るものの、最終的には7位という中途半端な成績に終わり涙をのんだが『ライオン・キング』(94)の「サークル・オブ・ライフ」で視聴者を圧倒する歌唱力を披露。原曲を歌ったエルトン・ジョンも賛辞を送り、ハドソンはショービズ界にインパクトを残す。この時代もハドソンは、フランクリンの曲を歌っており、その経験も今回の『リスペクト』で生かされたことを、彼女は次のように語る。
「『アメリカン・アイドル』のツアーで、私はアレサの曲も歌いました。22歳の時です。その動画と、同じくらいの年齢のアレサの動画を探し出して見比べながら、2人の類似点を見つけ、声の出し方などを近づけていきました」。
「アメリカン・アイドル」の翌年、ハドソンは『ドリームガールズ』のオーディションで、782人の中からエフィー役に選ばれ、オスカー受賞というシンデレラストーリーが完成する。その後、俳優として多くの作品に出演しつつ、シンガーとしても大活躍。2008年のスーパーボウルでの国歌独唱、2009年にはデビューアルバムでグラミー賞最優秀R&Bアルバム賞受賞など輝かしいキャリアを達成。36kgのダイエットに成功するなど、話題にも事欠かなかった。
しかし私生活は順調というわけではなかった。結婚と離婚を経験し、息子の親権を巡って法廷で争った。そしてハドソンにとって最大の悲劇といえば、2008年、母と兄が射殺され、幼い甥も遺体で見つかるという事件。姉の元夫が犯人として逮捕されたが、想像を絶する悲しみを彼女は味わったわけである。
フランクリンも、夫から暴力を受けつつ、黒人の人権問題や女性差別問題に先頭になって向き合う波乱の生涯を送ったが、ハドソンも数多くの苦難を乗り越えてきた。『リスペクト』では、フランクリンが「本当に歌いたいものを見つける」ドラマでもある。ハドソンも、自身のキャリアを重ねながら、このように想いを打ち明ける。
「これもアレサ本人から教えてもらったのですが…。多くの人と仕事をすると、本来の自分の才能や夢を見失うことがあります。まわりの人がすべて決めてしまうからです。だから私もオスカーを受賞しても、その栄誉に騙されず、“自分の声”という基本を忘れないことを誓い、現在に至っています」。
2018年、フランクリンの葬儀で、ハドソンはその“自分の声”でソウルの女王へのリスペクトを歌に込めた。
映画の出演作で、ハドソンがここまで注目されるのは、『ドリームガールズ』以来だろう。その渾身の演技と圧巻のパフォーマンスを、ぜひ体感してほしい。
取材・文/斉藤博昭