「信長のシェフ」から『真夜中乙女戦争』まで――俳優・永瀬廉の歩みを振り返る
視聴者の心をつかんだ「おかえりモネ」、そして『真夜中乙女戦争』へ――
全身全霊の芝居を観たあとには「おかえりモネ」でまたも驚かされることになる。小説、漫画原作のキャラクター息を吹き込んできた永瀬が次に演じたのは、及川亮という人間。それも、痛々しいほどにリアルな“人間”そのものだった。永瀬は、亮が抱える事情や感情を丁寧に視聴者に投げかけ、ときに訴えかけた。多くの視聴者が亮の心のうちを想い、言葉ひとつ、涙ひと粒の意味を考え、優しさと切なさが同居する作り笑顔に胸を痛めた。皆が亮の幸せをただひたすらに願っていただろうし、亮が等身大の笑顔を見せた時には思わず涙がこぼれた。いまも世界のどこかにいて、数年経ってもふと思い出すような――及川亮は、多くの人にとってそんな存在になっただろう。
『真夜中乙女戦争』で演じる“私”は、影をまとった存在というよりもはや、影の一部である。触れれば壊れてしまいそうな脆さ、そんな自分を守るように張り巡らせた棘、隠した牙、希望など映そうともしない瞳。本作の永瀬には、そうしたヒリヒリとした若者の眼差しが宿っている。永瀬の持ち味であるまろやかで色気のある声も、亮役を演じた時とはまるで異なる冷たい響きを放つ。
とはいえ“私”はどこにでもいる大学生で、誰もが経験したであろう悩みや不安、苛立ちを抱えた存在。物語は思わぬ事態に転がっていくわけだが――演じているのは、決して特別ではない等身大の若者だ。そうした人物を物語の主人公めかせているのは、原作、脚本、演出、そして演者の手腕にほかならない。
“私”は平凡な日々に鬱屈した想いを抱えている。冒頭の“私”は瞳もうつろで、表情は乏しい。無気力で人間関係に閉鎖的な反面、心の奥底には破壊衝動を秘めている。しかし、危険なカリスマ“黒服”(柄本佑)や凛々しく聡明な“先輩”(池田エライザ)との出会いにより“私”の心が変化していく。
永瀬は観る者に想像の余地を与えるのがうまい。だからこそ、白黒つけられない役どころを任されるのかもしれないとも思う。抑えた表情の演技と声のトーンに加え、涙しながらも笑っているといったちぐはぐな表出、本音か否かわからぬ言葉――“私”が、いまなにを考えているのか、その胸にあるのは悲しみのか、怒りなのか、虚無なのか、それは観客の見方に委ねられているのだ。
本作のラストシーンはその象徴とも。あの時あの場所で、“私”のなかにどのような感情が生まれていたのか、どういった解釈であの表現に至ったのか、永瀬と答え合わせをしてみたくもあり、自分なりの理解を大切にしたくもある。そうした考察を持たせてくれるからこそ、永瀬の芝居は“良い”のだ。
永瀬元来の芯の強さが活きたドラマデビュー作、がむしゃらに走り抜いた『弱虫ぺダル』、俳優として深みを増した「おかえりモネ」、そして、若者のあがきと心の機微をダークに演じる『真夜中乙女戦争』。次々と新たな顔を見せる俳優、永瀬廉から目が離せない。
誤解を恐れずに言えば、俳優としての永瀬はまだまだ発展途上にあると思っている。先述したように、本格的に映像作品に出演し始めたのが2019年。あまりの急成長ぶりについその事実を忘れてしまうが、イメージにとらわれないいまだからこそ、どうか挑戦し続けてほしい。
文/新亜希子